「相手の気持ちになれ」と何度も言われ、また、自分でも言ったこともあると思う。
弱い者いじめをするような者が、いじめている相手の気持ちになるとは思えないが、それはどうだろう?
むしろ、相手の気持ちになって、嫌な気持ちになると分かるからいじめるのではないだろうか?

また、「親の心、子知らず」とか言って、自分が親にならないと、親の気持ちが分からないという話もある。
これは本当だが、かなり誤解されていることがある。
実は、親の気持ちなんてものはないと言ったら、納得しない人(特に親)が多いだろう。
正確に言えば、自分の親は気持ちなんてものは持っていないが、自分が親になった時に、「親の気持ち」が発生するというのが事実なのだ。

もっと簡単に言うべきだろう。ただし、簡単に言えればだが・・・
気持ちを感じるのは心だが、自分の心以外の心というものは存在しないのである。
あなたは、宇宙の中で、たった1人の心を持つ存在だが、あなたの心は、1つの身体の中にあるのではなく、宇宙全体に広がっているのである。
初めて聞くと、荒唐無稽、奇想天外な話と感じるかもしれないが、それを、割と簡単に確認する方法がある。
多くの人は、歩きスマホをしている人をよく見ると思う。
だが、歩きタバコをする人は、見る人と見ない人がいる。
そして、歩きながら焼き芋を食べている人となると、全くと言って良いほど見ないと思うが、実は、よく見る人もいるのである。
簡単に言えば次のようなことなのだ。
歩きスマホをしている人をよく見る者というのは、いつも余計なことを考えている者だ。
歩きタバコをしている人をよく見る者というのは、いつも他人に迷惑なことをしている者だ。
歩きながら焼き芋を食べている人を見る者というのは、食べるべき場所でない所でよくものを食べる者だ。
だが、心には、曖昧だったり、微妙な部分もあるので、実際は、もっと複雑だが、基本的には、こんなものだ。

結論は、こうである。
「私は、宇宙で唯一の考える主体」
別に、こんなややこしい言い方をせずとも、「私は、宇宙で唯一、考えている者」でも良いのだが、「私」は、「他人の気持ちになって」「猫の気持ちになって」考えることもあるので、「考える主体」という言い方をした方が適切なのである。
他人も、犬も、猫も、アメンボウも、反応している機械人形のようなものだが、それらの者の心は、あなたの心の中にある。
インドの聖者ラマナ・マハルシがこう言ったのは重要なことだ。
「他人に対してすることは、実は、自分に対してしているのだ。そうであれば、他人に施しをせずにいられようか」
昔から、「人の振り見て我が振り直せ」と言うだろう?
他人の嫌な性質は、自分の中にそれがない限り、見ることは絶対に出来ない。
だからと言って、その嫌な性質を無理に治そうとしなくても、それが自分の性質だと理解すれば勝手に消える。
逆に、その嫌な性質は自分と関係ないと思っている限り、自分の中からそれは消えず、その性質を持った嫌なやつをずっと見ることになる。
つまり「天上天下唯我独尊」というわけだ。

「自分は宇宙で唯一の考える主体だ」
これが最高のマントラ(真言)だ。
ずっとこう思っていると、世界の支配者、王になる。
この言葉に縁がないうちは、ずっと奴隷である。








  
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