アメリカ合衆国では、大統領が核ミサイルの発射ボタンが付いた装置(通称「核のフットボール」)を常に携帯している(実際は側近が持っている)らしいが、実際の核ミサイルの発射プロセスは複雑で、大統領がボタンを押せばすぐに発射されるというわけではないらしい。
だが、大統領が大きな決定権を持っていることは確かで、大統領当人にしてみれば、事実上の発射ボタンを持っているような気持ちだろう。
では、核ミサイルが即時に発射されるボタンがあり、それを押す必要に迫られた時の大統領のような人物の心理はどうであろう?
核ミサイルでなくても、死刑執行ボタンを押す者が、まともな人間であれば、その緊張感は想像も出来ないほどのものだろう。
だが、自分の命がかかったことであれば、少しは想像出来るかもしれない。
たとえば、ロシアンルーレットだ。
5~6発の弾丸を装填出来る回転式弾倉に、1~3発位の弾丸を装填し、弾倉をデタラメに回転させ、弾が出るか出ないか分からない状態で自分の頭に銃口を向け引き金を引く。
もちろん、普通の神経を持った人間であれば、激しい恐怖を感じるが、「カチッ」という音がして弾が出なかった時の感覚は予想も出来なかった素晴らしいもので、それがクセになってしまうということがあるらしい。
あるいは、銃殺される瞬間はどうだろう?
もちろん、それがどんなものであるか、本当に銃殺されてしまえば聞くことは出来ないが、銃殺の執行直前に中止になったという話がいくらかある。
ロシアの文豪ドストエフスキーがそうで、彼が30歳くらいの時、政治犯として銃殺されることになり、刑場に引き出されて、いよいよ執行されるという直前に恩赦が伝えられた(まあ、そういうシナリオが執行側にあったらしいが)。
日本の中村天風は、銃殺刑が執行される直前、助けが来て危機一髪で命拾いしたらしいが、天風本人は、死ぬ気満々で、銃殺の時に、あくまで銃殺される者に対する気遣いから用意される目隠しを拒否し、弾が来るのを待ち構えていたと言われる。
だが、そういった経験がある者は、その時の気持ちを語ることは・・・まあない。
それはそうで、言葉に出来るとは思えない。
これらのような、極限状態を体験した者の中には、悟りでも開いたかのように精神が覚醒し、その後の人生で異様な能力を発揮したり、奇跡のような幸運に恵まれたりしている人がいる。
超緊張状態と、それから解放されたという体験だが、その時に、重要なことが起こる。
核ボタンやロシアンルーレット、あるいは、銃殺刑といったようなものでなくても、大きな緊張というものを経験したことがある人は多い。
それが、はた目からは、笑い話のような体験でも、当人にとって大ごとである場合には、同様な経験が出来る。
たとえば、私は子供の時、泥団子を作ったのだが、それがあまりに見事な出来で、それを見て惚れ惚れとしたが、それをなぜか、二階の窓から落として壊そうという気になった。その泥団子を持った手を窓から出し、「さあ、落とすぞ!」と思いながら、なかなか落とせないでいる時の気分は、核ミサイルのボタンを今まさに押そうとしている大統領のような気分だったようにも思う。
そして、その時、自分の精神に何かが起ころうとしているのを感じた。
それは、一度だけのことではなく、ここでは、わざと間抜けた事例を取り上げたが、どんなことでも、極度の緊張状態になれば、そんなことが起こる可能性がある。
イギリスの作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、青酸カリ(飲めば確実に死ぬ劇薬)を口に含もうとした時、精神に重大なことが起こり、まさに生まれ変わったのである。
では、そういった極度の緊張状態の時に、何が起こっているのだろう?
これについては、いろいろな人が難しいことを言っているが、実は簡単なことで、「今」に没頭したというだけのことなのだ。
上のような緊張状態の中で、誰もが、「今」の瞬間を、まともに、もろに、ダイレクトに、あからさまに・・・とにかく、何のフィルターもなく感じていたのだ。
私は、泥団子を持ちながら「今、今、今・・・」と心で思っていたのである。
簡単に言えば、その時、精神は、超能力状態、魔力発動状態・・・つまり、精神の力が解放された状態になる。
だが、極度の緊張でそうなった場合、その緊張から解放された時に、その異常に感じる精神状態から強く逃れようと思ってしまい、力を失うことがよくある・・・というか、ほとんどの場合がそうなのだと思う。
しかし、その余韻を感じるほどであれば、そこそこいい感じで力を保つことが出来る。
あるいは、中村天風のように、その精神状態をそのまま維持する者もいる。
確実に力を得たければ、過激な方法は避けた方が良いのだ。
その方法については、長くなったので、次の記事で書く。
だが、大統領が大きな決定権を持っていることは確かで、大統領当人にしてみれば、事実上の発射ボタンを持っているような気持ちだろう。
では、核ミサイルが即時に発射されるボタンがあり、それを押す必要に迫られた時の大統領のような人物の心理はどうであろう?
核ミサイルでなくても、死刑執行ボタンを押す者が、まともな人間であれば、その緊張感は想像も出来ないほどのものだろう。
だが、自分の命がかかったことであれば、少しは想像出来るかもしれない。
たとえば、ロシアンルーレットだ。
5~6発の弾丸を装填出来る回転式弾倉に、1~3発位の弾丸を装填し、弾倉をデタラメに回転させ、弾が出るか出ないか分からない状態で自分の頭に銃口を向け引き金を引く。
もちろん、普通の神経を持った人間であれば、激しい恐怖を感じるが、「カチッ」という音がして弾が出なかった時の感覚は予想も出来なかった素晴らしいもので、それがクセになってしまうということがあるらしい。
あるいは、銃殺される瞬間はどうだろう?
もちろん、それがどんなものであるか、本当に銃殺されてしまえば聞くことは出来ないが、銃殺の執行直前に中止になったという話がいくらかある。
ロシアの文豪ドストエフスキーがそうで、彼が30歳くらいの時、政治犯として銃殺されることになり、刑場に引き出されて、いよいよ執行されるという直前に恩赦が伝えられた(まあ、そういうシナリオが執行側にあったらしいが)。
日本の中村天風は、銃殺刑が執行される直前、助けが来て危機一髪で命拾いしたらしいが、天風本人は、死ぬ気満々で、銃殺の時に、あくまで銃殺される者に対する気遣いから用意される目隠しを拒否し、弾が来るのを待ち構えていたと言われる。
だが、そういった経験がある者は、その時の気持ちを語ることは・・・まあない。
それはそうで、言葉に出来るとは思えない。
これらのような、極限状態を体験した者の中には、悟りでも開いたかのように精神が覚醒し、その後の人生で異様な能力を発揮したり、奇跡のような幸運に恵まれたりしている人がいる。
超緊張状態と、それから解放されたという体験だが、その時に、重要なことが起こる。
核ボタンやロシアンルーレット、あるいは、銃殺刑といったようなものでなくても、大きな緊張というものを経験したことがある人は多い。
それが、はた目からは、笑い話のような体験でも、当人にとって大ごとである場合には、同様な経験が出来る。
たとえば、私は子供の時、泥団子を作ったのだが、それがあまりに見事な出来で、それを見て惚れ惚れとしたが、それをなぜか、二階の窓から落として壊そうという気になった。その泥団子を持った手を窓から出し、「さあ、落とすぞ!」と思いながら、なかなか落とせないでいる時の気分は、核ミサイルのボタンを今まさに押そうとしている大統領のような気分だったようにも思う。
そして、その時、自分の精神に何かが起ころうとしているのを感じた。
それは、一度だけのことではなく、ここでは、わざと間抜けた事例を取り上げたが、どんなことでも、極度の緊張状態になれば、そんなことが起こる可能性がある。
イギリスの作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、青酸カリ(飲めば確実に死ぬ劇薬)を口に含もうとした時、精神に重大なことが起こり、まさに生まれ変わったのである。
では、そういった極度の緊張状態の時に、何が起こっているのだろう?
これについては、いろいろな人が難しいことを言っているが、実は簡単なことで、「今」に没頭したというだけのことなのだ。
上のような緊張状態の中で、誰もが、「今」の瞬間を、まともに、もろに、ダイレクトに、あからさまに・・・とにかく、何のフィルターもなく感じていたのだ。
私は、泥団子を持ちながら「今、今、今・・・」と心で思っていたのである。
簡単に言えば、その時、精神は、超能力状態、魔力発動状態・・・つまり、精神の力が解放された状態になる。
だが、極度の緊張でそうなった場合、その緊張から解放された時に、その異常に感じる精神状態から強く逃れようと思ってしまい、力を失うことがよくある・・・というか、ほとんどの場合がそうなのだと思う。
しかし、その余韻を感じるほどであれば、そこそこいい感じで力を保つことが出来る。
あるいは、中村天風のように、その精神状態をそのまま維持する者もいる。
確実に力を得たければ、過激な方法は避けた方が良いのだ。
その方法については、長くなったので、次の記事で書く。
| 人気ランキング参加中です |
|

