昨日、このブログで、J.E.アディントンの著書『奇跡の時は今』の中で、イエスが使った古代ヘブライ語には時間の観念がなく、イエスの教えは全て現在形で表現されると書かれていることを述べた。
このことは、新しい物理学が、この世界に、実際には、時間というものは存在しないと教えていることと一致しているが、こういったこと(時間は存在しない)に留意してこそ、引き寄せが可能になることも説明した。
その中で、イエスが人々に教えた「主の祈り」の正しい形について、少し述べた。

すると、本日の午前中だが、2001年のアニメ『サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER』の中の22話を見たら、キリスト教の教会の中の場面があり、その中で牧師が、「主の祈り」を唱え始めたのだ。
共時性(シンクロニシティ)である。私の理解が正しいことを天が教えてくれたのだと思う。
その「主の祈り」は、普通のものであり、だいたい、次のようであった。

御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、 地にも行われますように。

これは、イエスの真意としては、

御名があがめられています。
御国がきているのです。
みこころが天に行われるとおり、 地にも行われています。

ということになる。
「主の祈り」が、上の前のもののように、未来に起こることのように伝えられているのは、まずいことであるかもしれない。
今、既にそうなっているとイエスは教えたのであるはずだからだ。

それが証されるイエスの教えがある。
「願い事があれば、それは既に叶えられたと思いなさい。そうすれば叶う」
これも、もっと正しく言えば、
「願い事があれば、叶っていると思いなさい。そうすれば、もう叶っている」
となる。
イエスのこの教えが引き寄せの精髄であると記した引き寄せの有名な書は、チャールズ・ハアネルの『ザ・マスター・キー』や、他にもあるが、そのあたりが明確でないので、読んでもうまく引き寄せが出来ない人がいるのかもしれない。

他にも難しいこととしては、「願いはもう叶っている」ことを、どう実感するかであると思う。
現代人は、どうしても、時間の観念があるので、願いは未来に叶うものだと思ってしまう・・・つまり、今は叶っていないと思ってしまう。
だが、我々が、過去と思う事象、現在と思う事象、未来と思う事象は、同時に今、存在している。

これに関し、鎌倉時代の禅僧、道元の『正法眼蔵』の『現成公案』にこうある。

灰は薪(たきぎ)が燃えたのちの姿、薪(たきぎ)は灰になる前の姿と見るが、とんでもない誤りである。
(中略)
前後があるといっても、その前後は断ち切れていて、あるのは現在ばかりである。
~『[新訳]正法眼蔵』(道元著、ひろさちや翻訳。PHP研究所刊)より~

天才発明家、中山正和は、旧制中学卒業の時、古典の教師に「『正法眼蔵』の『現成公案』だけ一生読め」と言われたことを感謝していたようだ。
中山正和が、画期的な発明を多数行い、また、能力開発の優れた教師になれたのも、このことがあったからであると思う。

具体的には、我々は、上に述べたことを理解してアファーメーション(呪文、まじない、口ぐせと言っても良い)を行えば良い。
「神様の奇跡が起こる」と唱える際、いつか奇跡が起こるのではなく、今、既に起こっていると思わないといけない。
何なら、「神様の奇跡が起こっている」と言っても良い。
最初は違和感を感じるかもしれないが、それが本当なのであり、やがて慣れるであろう。
「お金がある」を口ぐせにしていたら、2ヵ月ほどで億単位の資産が出来たという実話もあるらしい。
これ(「お金がある」)も、現在形の口ぐせであることに注意すべきである。
イケメンの彼氏が必要なら、「イケメンの彼がいる」となる。
金持ちであることも希望なら、「イケメンで金持ちの彼がいる」だが、あまり欲張らない方が良いかもしれない。いや、別に、欲張るのが悪いわけではないが、アファーメーションは短い方が唱え易いからだ。








  
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