前回の記事で、ラマナ・マハルシの「神実現の呼吸(知恵の呼吸)」を詳細にご紹介したが、これは究極ではあっても、本当は、あまり一般に勧められるものではない。
早い話が危険性もあるからで、本来は優れた人のためのものだ。
だが、誰がやっても力を得られるから問題なのだ。
とはいえ、人間性が歪んだ者が、これに自主的に取り組むとはとても思えないが、人間性自体は素晴らしいが、何かの理由で心を病んでいる者は沢山いる。
そして、心が病んでいても、多くの場合は、この呼吸法は良い作用を起こし、問題が解決し、悩みがなくなる。
しかし、悪い方に行かない保証はないというわけだ。
けれども、この世界は既に悪霊に支配されており、善とか正義がなくなってしまっていて、とても危険な状態だ。
待ったなしというところまで来ているかもしれない。
ヨハネ福音書でいうハルマゲドンの記述がそのまま当てはまるようにも思えるほどだ。
そんな中では正義を唱えても虚しいことになる。
ノーマン・ヴィンセント・ピールも「神の力をもっと求めよ」とは言っていたが、段階を追って進歩していく余裕があるか疑わしいのだ。
こういった緊急事態に対し、斎藤一人さんは「アメノミナカヌシ様、お助け下さいまして、ありがとうございます」と唱えれば救われるので、この言葉を唱えれば安心だと言ったのだと思うし、それでうまくいくなら、それが望ましい。
ところで、人間の運命なんて、子供の時に、良い意味で「自分は特別だなあ」と思うかどうかにかかっている。
そりゃ、ほとんどの者は、誰だって自分が特別だと思っていた。
どういうことかというと、赤ん坊の時、自分は何もしなくても、母親が一切のことをやってくれるのだから、自分は王様と変わらない。
そんな、「自分=王様」という感覚を「全能感」と言う。
全能である自分は、とてつもなく特別な存在であり、それを疑ってはいない。
そして、自分で活動出来るようになっても、親が何かと面倒を見てくれる。つまり、王様の権威は継続している。
けれども、いずれは、自分のことは自分でやらないといけなくなる。
そうなった時、自分の周囲の人達が悪意を持っていて、あまりに不親切だったり、自分を軽んじるので、王様が召使いになったような感覚を持ってしまうことがある。
それで、自信喪失し、劣等感や敗北感を持ってしまう。そうなると、一生終わりである。
そこで、賢い人が、全ての子供達に対し、「君は自分が特別だって知ってるかな?」と問いかけ、自分が偉大であることを納得させる試みをして、成果を上げた。
だが、本来であれば、子供は、親の顔を見さえすれば、自分が特別なことくらい分かるようになっている。
ところが・・・
ある時代から、悪の魂の持ち主達が、子供達が自分は奴隷だと思うよう仕組んだ。
親は、自分の子供を蔑んだ目で見るようになり、学校では奴隷根性を叩き込まれる。
その犠牲者が我々というわけだ。
そんな者は、アメノミナカヌシ様が自分を救ってくれるか疑ってしまうのだ。
そこで、自分がアメノミナカヌシ様になる方法が必要なわけである。
もちろん、実際は、アメノミナカヌシ様の一部が自分の心臓の中にいるということなのだが、その認識にダイレクトに(つまり直観的に)連れて行くことが必要なのである。
それは不自然なやり方というのではないが、一般に試されたこともないことも確かである。
だが、自分さえ「シャンと」していれば問題はないはずである。
早い話が危険性もあるからで、本来は優れた人のためのものだ。
だが、誰がやっても力を得られるから問題なのだ。
とはいえ、人間性が歪んだ者が、これに自主的に取り組むとはとても思えないが、人間性自体は素晴らしいが、何かの理由で心を病んでいる者は沢山いる。
そして、心が病んでいても、多くの場合は、この呼吸法は良い作用を起こし、問題が解決し、悩みがなくなる。
しかし、悪い方に行かない保証はないというわけだ。
けれども、この世界は既に悪霊に支配されており、善とか正義がなくなってしまっていて、とても危険な状態だ。
待ったなしというところまで来ているかもしれない。
ヨハネ福音書でいうハルマゲドンの記述がそのまま当てはまるようにも思えるほどだ。
そんな中では正義を唱えても虚しいことになる。
ノーマン・ヴィンセント・ピールも「神の力をもっと求めよ」とは言っていたが、段階を追って進歩していく余裕があるか疑わしいのだ。
こういった緊急事態に対し、斎藤一人さんは「アメノミナカヌシ様、お助け下さいまして、ありがとうございます」と唱えれば救われるので、この言葉を唱えれば安心だと言ったのだと思うし、それでうまくいくなら、それが望ましい。
ところで、人間の運命なんて、子供の時に、良い意味で「自分は特別だなあ」と思うかどうかにかかっている。
そりゃ、ほとんどの者は、誰だって自分が特別だと思っていた。
どういうことかというと、赤ん坊の時、自分は何もしなくても、母親が一切のことをやってくれるのだから、自分は王様と変わらない。
そんな、「自分=王様」という感覚を「全能感」と言う。
全能である自分は、とてつもなく特別な存在であり、それを疑ってはいない。
そして、自分で活動出来るようになっても、親が何かと面倒を見てくれる。つまり、王様の権威は継続している。
けれども、いずれは、自分のことは自分でやらないといけなくなる。
そうなった時、自分の周囲の人達が悪意を持っていて、あまりに不親切だったり、自分を軽んじるので、王様が召使いになったような感覚を持ってしまうことがある。
それで、自信喪失し、劣等感や敗北感を持ってしまう。そうなると、一生終わりである。
そこで、賢い人が、全ての子供達に対し、「君は自分が特別だって知ってるかな?」と問いかけ、自分が偉大であることを納得させる試みをして、成果を上げた。
だが、本来であれば、子供は、親の顔を見さえすれば、自分が特別なことくらい分かるようになっている。
ところが・・・
ある時代から、悪の魂の持ち主達が、子供達が自分は奴隷だと思うよう仕組んだ。
親は、自分の子供を蔑んだ目で見るようになり、学校では奴隷根性を叩き込まれる。
その犠牲者が我々というわけだ。
そんな者は、アメノミナカヌシ様が自分を救ってくれるか疑ってしまうのだ。
そこで、自分がアメノミナカヌシ様になる方法が必要なわけである。
もちろん、実際は、アメノミナカヌシ様の一部が自分の心臓の中にいるということなのだが、その認識にダイレクトに(つまり直観的に)連れて行くことが必要なのである。
それは不自然なやり方というのではないが、一般に試されたこともないことも確かである。
だが、自分さえ「シャンと」していれば問題はないはずである。
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