『サイボーグ009』は、1964年に、26歳だった石ノ森章太郎が連載を開始し、石ノ森は1998年に60歳で癌で亡くなるが、『サイボーグ009』はいまだ新作が作られ、おそらく、今後もそうだろうと思う。
ところで、漫画の『サイボーグ009』は、ある時以降、それ以前と、明らかな断絶がある。
実際に、一時、連載が休止されているのだが、連載休止の理由に関し、石ノ森は「作者も登場人物も疲れた」と書いていたが、同時に、「今後の構想が大きくなり過ぎ、いったん練り直したい」といったことも述べていたように思う。
だが、その後、再開された作品は、どこか単発的な雰囲気であった。
が同時に、再開された作品は、大きな展開へのオーバーチュア(序曲)のようにも見えた。
そして、結局、石ノ森は『サイボーグ009』を完成させることが出来なかった。
癌で入院し、医者が「生きているのが不思議」というほどの状態で、病室で小説の形で執筆していたが、ついに、途中で命尽きる。
残された膨大な原稿は乱雑なものであったが、石ノ森の息子の小野寺丈氏が5年をかけて3巻の小説作品に構成し、2012年に『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』として発表した。その中で、やむなく小野寺氏が補完、あるいは、まるまる一章を新規に書いたりもしている。

『サイボーグ009』の漫画連載が休止になる時、作品は大変な状況になっていた。
太古の地球にやってきた、究極の進化を遂げた生命体である「神」は、この地球上に人類を創造した。
そして、人類の進化の様子を見ようと、1975年頃の地球に戻ってきたが、人類の出来があまりに悪く失望したので、「神」は、現在の人類をいったん消去し、新しく作り直すことにした。
それを知った、9人のサイボーグ戦士達と、その生みの親であるギルモア博士は苦悩する。
「神」がそう決めたからには、どうしようもなかった。
だが、結論として、サイボーグ戦士達は「神」と戦うことを決意する。
とはいえ、それは、宇宙船をハエが止めようとするような戦いで、「戦い」というよりは「レジスタンス(抵抗)」であるが、現実には、抵抗にもならないに違いない。
その中で、人類最高の頭脳を持つ超能力戦士である001が、サイボーグ戦士達に、「きみ達に新しい力をつけてあげる」と言うところで話は終わっている。
その新しい力が何かは、2012年の小野寺氏の小説で初めて明かされる。
009が、1柱の女神と初めての戦った時のことだ。
009は女神に挑んだが、サイボーグ戦士最強の009とはいえ、相手は神であり、戦いになるはずがない。
009が誇る加装置による高速移動も、女神には止まっているに等しい。
ところが・・・
女神が驚くのである。
なんと、女神が009の動きを追えないのだ。
これが新しい力で、やがて、全てのサイボーグ戦士達が、この「新しい力」を使うようになる。

「新しい力」とは、人間のいかなる力・・・肉体、精神、あるいは、メカニックであろうが、その力を拡張するのである。
それは、「シンギュラリティ」の提唱者であるレイ・カーツワイルによれば、テクノロジーの発達によって可能になる。
だが、人間の神秘の生命エネルギーは、それを瞬時に行う。
多くの人は、まさに漫画のような話と思うだろうが、私は全くそうは思わない。
なぜなら、この世界は、幻想、あるいは、仮想世界なのであり、人間の心が創造するものだからだ。
人類を創った「神」にも、その上位の存在がいると推測出来るが、その上位の存在が設定した力なのかもしれない。
実際、部分的ではあるが、その「新しい力」を私だって使える。
そのことを、この『サイボーグ009』で思い出したのである。
その力をどうやって使うのかというと、単に、「使いたいな」と思うだけである。
確かに、想像力の限界を超えた力は使えない。しかし、心を広げれば、力も広がる。
この力を使うのに、何の宗教も教義も寄付も要らない。むしろ、それらは力を抑えるものである。
だいたい、人間というのは、素直に、ちょっとしたトキメキと情熱を持って「やりたいな」と思ったことは何でも出来ることは、誰でも知っているはずなのだ。
ただ、あくまで、「素直な」「ちょっとしたトキメキと情熱」であることを忘れてはならない。








  
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