引き寄せは、信念の強さ・・・つまり、信じて疑わない心が起こす。
それを端的に表した言葉が、イエスが言った、
「山に向かって、海に入れと言い、そうなると信じて疑わないならそうなる」
であろう。
また、イエスは、
「出来れば…と言うのか?信じる者には何でも出来る」
と言い、人間の内なる万能の力は、信じることで発動するのだと示した。
さらに、引き寄せの具体的な方法は、
「願いはすでに叶ったと思え。そうすれば叶う」
であると教えている。

ところが、人間にとって、信じることは大変に難しい。
だから、信念の強い者は称賛されるのである。
これについて、私は、あるセミナーで、こんな話を聞いた。
「大概の子供は親の言うことを信じる。だから、子供にスプーンを持たせ、親が『曲がるよ』と言えば、子供はスプーンを曲げることが出来る」
ただし、それは、親の言葉にブレがない場合で、親の言葉にゆらぎがあると、子供はそれを敏感に察する。
そして、大抵の親の言葉は、レーザーのように真っすぐではなく、乱れがある。

力を求める者、志ある者は、信念を求めてさ迷い、そして、残念ながら多くは挫折する。
わずかの、幸運に恵まれた者だけが、純度の高い信念を得る。
ところで、何度も書いたが、私は、子供の時から、あり得ない奇跡を何度も起こしている。それは、限定的にだが、強い信念を持つことが出来たからである。
その限定的な信念を持つ方法を普遍化すれば良い。
それで、奇跡を自在にコントロール出来る。
そして、そのやり方は2つあることが分かった。
1つは、純粋に私が子供の時にやっていたもので、ヒトラーやナポレオンが使っていたものだが、彼らは最後は破滅している。
私は、偶然、それを思い出したが、これは、今のところ、公開しない方が良いと思っている。
もう1つは、斎藤一人さんが教えているものの強化版だ。
たとえば、斎藤さんで言えば、「俺は16の時から商売をしているのだから、金がないとおかしい」と思い、心を「俺は金がある」という一方向に向けるのである。
この「Xだから、Yでないとおかしい」というパターンで、人は、引き寄せに必要なだけの信念を持てる。
Xは、何でも良い。
「俺はいい男だから、可愛い彼女がいないとおかしい」
で良いが、「俺はいい男」の客観的真偽はどうでも良い。人間は己惚れ屋だから、自分を、いい男、いい女と肯定的に言うのは易しい。
Xは、肯定的であり、それほど抵抗がないことであれば何でも良いが、当然のこと、あるいは、事実であれば、さらに完璧だ。
たとえば、斎藤さんが16歳から商売をやっているというのは、事実であるから、疑いようがない。
家柄が良い者、親が偉大な者であれば、「私は〇〇家の者であるから」とか「私は〇〇の息子(娘)であるから」と言うのが、極めて良いXになる場合がある。

だが、人間の性質上、もっと良いXを設定する方法がある。
それは、何かを、毎日続け、それをXとすることだ。
私の場合は、こんなことがあった。
昔、私はTM(超越瞑想)を毎日、数か月やっていた。ほぼ1日も欠かさず、毎日2回、20分ずつやっていた。
つまり、その時の私にとってのXは「TMをやっている」である。
そんな中、私は、交通違反(運転中の信号無視)で警官に捕まった。
一瞬、動揺したが、私は「私はTMをやっているのだから大丈夫だ」と思った。
すると、あり得ないことだが、警官は何もせずに去った。
このように、毎日、欠かさず、何かを行い、「だから、こうでないとおかしい」と思えば、容易くそうなる。
毎日行うことは、肯定的で、良いと思えることであれば、何でも良い。
ただ、しんどいと思いながら、嫌々やっていることでは、あまりうまくいかないだろう。

江戸時代、ある修行を積んだ武士が、一人の町人に目を留めた。
ただ者とは思えない。
そこで、武士は、その町人に言った。
「お前は何者だ。その立ち居振る舞い、お前がただ者でないことは分かっている」
だが、その町人は、自分はただの商人だと言う。
ただ、その町人は、幼い時からの臆病を治そうと、毎日、夕刻に墓場に行くことを長年、日課にしていると言う。
それで、意識はしていないかもしれないが、「私は毎夕、墓場に行っているので、心が落ち着いていないとおかしい」という信念が出来ていたのかもしれない。
透明な信念を持つ人間はただ者ではなく、彼は意図せずとも、世界を支配しているのである。








  
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