中国出身のアメリカの女性作家で事業家であるチン・ニンチュウの世界的ベストセラーである『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本で、私は特に好きな箇所が3つある。
1つは、冒頭の、カール・グスタフ・ユングが好きだったというレイン・メーカー(雨乞師)の話。
1つは、中ほどの、クリント・イーストウッドとバート・レイノルズの対話。
1つは、最後の、ニンチュウが瞑想中に見たビジョンの話。
ニンチュウは、10歳で聖者になる志を持ち、高校生の時は修道女になり、その後、資産家と結婚。
それから、テレビドラマの女優になり、その後、セールスマンとして成功。そして、事業家、作家になった。
大変な努力家に見えるが、実際、彼女は物凄く貪欲で、狙った獲物は逃がさない激しいオンナだった(笑)。
しかし、ある時から、努力しなくなることでうまくいくようになった。
努力しなくなったきっかけが、上の最後の話である、瞑想中のビジョンだ。
ニンチュウは、瞑想中にこんなイメージを見ている。
羊飼いが近付いてきて、彼女は羊になった。
そして、自分は、羊飼いに面倒を見てもらいさえすればよく、何の努力もする必要がないと悟った。
羊飼いが「究極の戦士」として自分の代わりに戦ってくれると言ったのである。
彼女は涙が止まらなかったという。
この羊飼いは、言うまでもなく神だろう。
アメリカの画家で作家であるフローレンス・スコーヴェル・シンや作家でヨガ指導者のトーシャ・シルバーらが、「あなたの代わりに神が戦ってくれるのだから、自分で戦う必要はない」ということを書いていたと思うが、この2人も女性である。
では、どうすれば、神様に面倒を見てもらえるのだろう。
それは、末期癌が奇跡的に全快した刀根健さんの『僕は死なない』に、簡単に書かれている。
癌を治すために努力に努力を重ねた末、肺癌が全身(肝臓、腎臓、骨、脳、眼球)に転移し、もう駄目だという状況で、彼は「神様、降参です」と思った途端、意識がガラッと変わったようだった。
これも、ニンチュウらのように、「神が代わりに戦ってくれる」ということであるかもしれない。
ニンチュウや加藤健さんら、元々努力家の人達の場合は、努力して倒れた末、自分より高い存在(神)に気付いたのだが、彼らは育ちの影響で努力してしまう人達だった。
まあ、少しは努力してみても良いだろうが、そのくらいは私ですら(笑)やっている。
それより、最初から、神様が自分より強いことを自覚して保護してもらうと良い。
それで、神様に面倒を見てもらうにはどうすれば良いかというと、羊のようであれば良い。
つまり、羊飼いに出来るだけ近付いて、ダメ押しに(笑)メエメエと鳴けば良い。
まあ、羊飼いを離れてどこかに行っても、羊飼いは探してくれるが、自分が保護を拒否している限り、羊飼いには強制的に連れ帰ることは出来ない。
「俺は独立で頑張るんだ」と思ってうろつき回っている間に狼に襲われ、ようやく、神様を頼る気になる。
じゃあ、最初から、身の程をわきまえ、神様の近くに居れば良いのだ。
そのために、「ナムアミダブツ」でも「アマテラスオホミカミ」でも「アマノミナカヌシノカミ」でも良いから、神様仏様の名をずっと唱えるという方法がある。
これを、インドではナーマスマラナと言い、仏教では念仏と言う。
「アマテラスオホミカミ」と唱えることは十言の神呪(とことのかじり)と言う。
私は、心の中で静かに丁寧に唱えることをお勧めする。
1つは、冒頭の、カール・グスタフ・ユングが好きだったというレイン・メーカー(雨乞師)の話。
1つは、中ほどの、クリント・イーストウッドとバート・レイノルズの対話。
1つは、最後の、ニンチュウが瞑想中に見たビジョンの話。
ニンチュウは、10歳で聖者になる志を持ち、高校生の時は修道女になり、その後、資産家と結婚。
それから、テレビドラマの女優になり、その後、セールスマンとして成功。そして、事業家、作家になった。
大変な努力家に見えるが、実際、彼女は物凄く貪欲で、狙った獲物は逃がさない激しいオンナだった(笑)。
しかし、ある時から、努力しなくなることでうまくいくようになった。
努力しなくなったきっかけが、上の最後の話である、瞑想中のビジョンだ。
ニンチュウは、瞑想中にこんなイメージを見ている。
羊飼いが近付いてきて、彼女は羊になった。
そして、自分は、羊飼いに面倒を見てもらいさえすればよく、何の努力もする必要がないと悟った。
羊飼いが「究極の戦士」として自分の代わりに戦ってくれると言ったのである。
彼女は涙が止まらなかったという。
この羊飼いは、言うまでもなく神だろう。
アメリカの画家で作家であるフローレンス・スコーヴェル・シンや作家でヨガ指導者のトーシャ・シルバーらが、「あなたの代わりに神が戦ってくれるのだから、自分で戦う必要はない」ということを書いていたと思うが、この2人も女性である。
では、どうすれば、神様に面倒を見てもらえるのだろう。
それは、末期癌が奇跡的に全快した刀根健さんの『僕は死なない』に、簡単に書かれている。
癌を治すために努力に努力を重ねた末、肺癌が全身(肝臓、腎臓、骨、脳、眼球)に転移し、もう駄目だという状況で、彼は「神様、降参です」と思った途端、意識がガラッと変わったようだった。
これも、ニンチュウらのように、「神が代わりに戦ってくれる」ということであるかもしれない。
ニンチュウや加藤健さんら、元々努力家の人達の場合は、努力して倒れた末、自分より高い存在(神)に気付いたのだが、彼らは育ちの影響で努力してしまう人達だった。
まあ、少しは努力してみても良いだろうが、そのくらいは私ですら(笑)やっている。
それより、最初から、神様が自分より強いことを自覚して保護してもらうと良い。
それで、神様に面倒を見てもらうにはどうすれば良いかというと、羊のようであれば良い。
つまり、羊飼いに出来るだけ近付いて、ダメ押しに(笑)メエメエと鳴けば良い。
まあ、羊飼いを離れてどこかに行っても、羊飼いは探してくれるが、自分が保護を拒否している限り、羊飼いには強制的に連れ帰ることは出来ない。
「俺は独立で頑張るんだ」と思ってうろつき回っている間に狼に襲われ、ようやく、神様を頼る気になる。
じゃあ、最初から、身の程をわきまえ、神様の近くに居れば良いのだ。
そのために、「ナムアミダブツ」でも「アマテラスオホミカミ」でも「アマノミナカヌシノカミ」でも良いから、神様仏様の名をずっと唱えるという方法がある。
これを、インドではナーマスマラナと言い、仏教では念仏と言う。
「アマテラスオホミカミ」と唱えることは十言の神呪(とことのかじり)と言う。
私は、心の中で静かに丁寧に唱えることをお勧めする。
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昔、車を運転していて前方に衝突しそうになったとき、「神様…」と咄嗟に心の中で思うと、なぜか速度が下がってぶつからずに済んだことを、今初めて思い出しました。