若い神経質な人が多いが、若くて神経質な人は、特定のことに関して神経質であるだけで、大方のことに関しては案外に受容性が高いというか、鈍感に見える。
歳を取ると神経質は治るものだが、現代では、逆に、歳を取るほど、あらゆることに対し神経質に見える人が多くなっている。
本来は、歳を取れば人間は鷹揚(鷹が飛ぶようにゆったりしている様)になる。
なぜかというと、自分には世界を動かす力がないことを思い知っているからだ。
お金や権力がある人はそうではないと思うかもしれないが、逆である。お金や権力がある人ほど、この世はままならないことを痛感するものなのである。
だから、金持ちの老人の中には、せめて小さなことは自分の思い通りにしたくて、どうでもいいことにこだわる偏屈じいさんやばあさんになってしまう人がよくいる。

だが、結局のところ、重要でないことに関しては、受容性が高く鷹揚であることで、ものごとはうまくいき、幸福感が得られる。
だから、自分が下らないことに血道を上げていることに気付き、それをやめようと思い、本当にやめてしまったら、まるで宇宙が親切になったかのように感じるが、本当は、宇宙は元々親切であり、ただ、こだわらないことで、宇宙の親切を受け入れることが出来るようになるだけなのだ。
政治家は、政治のことだけではなく、いわゆるしがらみに関することも重要な仕事と心得ているが、しがらみの部分に力を入れ過ぎると、肝心の政治のことが出来ない。そんな政治家は、結局のところ失敗するのである。そんなもの(しがらみに関すること)を、きれいさっぱり捨ててしまえば成功するのに、それが命綱だと思い込んでしまっている政治家が多いのである。まあ、そう思い込ませたがる者達がいるからという面はある。
だが、政治家でない我々も同じである。
コックが料理にこだわるのは良いが、その他のどうでも良いことばかりにこだわるようになれば、料理人としても終わりである。

渡部純一さんの『鈍感力』なんて本がベストセラーになり、ロングセラーを続けているが、正直、あんなことをいちいち本にする必要がある世の中は衰退しているのであり、実際、日本は衰退する一方らしい。
本当に大切なこと以外は、「鈍感」に見えるほど、受容性が高く鷹揚になれば、効率は千倍になる。
いや、本当の実力者というものは、大切なことに関してすら、あまりこだわらない。
自分の力など、たかが知れていることを知っているからだ。
とはいえ、何でも神まかせにして現実を見ようとしない者は、何をやっても駄目であるが、こんな者も多くなってしまった。
「がんばらなければ成功する」と言う者がいて、それは正しい面もあるのだが、ものごとを放置することとがんばらないことは違う。

こういった複雑なことを、シンプルな公式にまとめることが出来れば便利と思う。
そういったものを極意とか言うのだろう。
極意が分からないと、いくら努力し、こだわりを捨て、引き寄せの法則を学んでも、何も良いことがない。
そして、その公式とは、結局のところ「モラル」なのである。
モラルとは、放埓(勝手気まま)に振る舞わないこと、つまり、自分で自分に制約を課すこと・・・もっと簡単に言えば、衝動的な欲望を必要なだけ抑えることだ。
そのために、3つ食べられるところを2つにする訓練が非常に有効だから、江戸時代の観想家、水野南北は、「人生の盛衰は、ただ食の慎みの1つによる」という単純な公式を提示したのである。
ただ、水野南北の教えを商売にする者は、さじ加減を考えず、とにかく、少食・粗食にすればいいんだとして、言い過ぎ、やり過ぎになる。ひどいのになると、他人には慎みを説くが、自分には甘かったり、慎みが全くないということすらある。
良い教えを商売にしてはならない。
食に関しては、ただ、「満腹するまで食べて自分を甘やかなさい」ようであれば良い。
食と並ぶ衝動的な欲望である性が乱れるのは、栄養過剰な文明国の宿命であるが、それを制約出来れば、必ず成功する。しかし、ナポレオン・ヒルも言っていたように、40歳前で成功する人は少なく、時代が進むごとにそうなり、現在の日本は、ここらが崩壊しているので何も発展しないように思える。
神は、人間が自己に加えた制約の倍の力を与えて、世界を闊歩させる。
これと反対のことを民衆の頭に叩き込んだのが闇の支配者であるが、この正しい公式を覚えておけば、悪い洗脳を脱することが出来るのである。








  
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