元気があれば引き寄せの力も強くなって何でも出来るが、元気とは何かというと2つある。
1つは自然と共にあること。
都会の人間より、大自然の中で生きる人々の方が元気であることから、それが分かる。
どんなに便利でも、人工的なものの中にばかりいると、所詮、動物である人間は生命力を低下させる。
DNAは極めてゆっくり(一説では部分的にも1万年単位で)変化するので、動物としての人間は、数万年の昔から、それほど変わっておらず、電磁波や静電気に対応する身体になっているとは思えない。
だから、人間は、時に電磁波を避け、日に当たり、土に触る必要がある。
夏は、海に山にと出かけたいものである。
ただ、人間の脳は、思考力だけでなく、記憶力や想像力も発達したので、どうしても自然に接する機会がないなら、想像で自然の中に入っていくのも有効だ。
むしろ、人工的なしょぼい山や海よりは、想像で、壮大で激しい自然の中に行った方が良い部分だってある。
未開民族の元気な人々を映像で良いから観察し、脳内のミラーニューロンの機能で、彼らと同調して元気になることも出来る。それには、見ているだけで良い。むしろ、考えずに感じる方が良い。
また、『古事記』や『ギリシャ神話』を読むと良い。
鬱や不安症になった人間が、これらを読むと精神が安定することがよくある。特に、子供の場合、顕著である。
その理由は、『古事記』や『ギリシャ神話』に描かれた神は、自然の生命力そのものであり、想像の力を借りて神を見ることで、自分の内側にある生命力を蘇らせる。まさに、神はわが内にあり、我、神なりなのである。
そして、自然に接することと共に大切なことは楽天的であることだ。
楽天的であることほど、人間を活性化させることはない。
ただ、楽天的であることと自然は無関係ではなく、自然に接することで、勝手に楽天的になるのである。
だから、未開民族には楽観的な人間が多い。
確かに、疑うことは大切だが、それと悲観論は違う。
むしろ、悲観論者は、前提や常識を疑うことをしないものである。
それに、いくら考えたって、最後は運まかせになることは少なくない。
そして、楽観的であれば、運だって引き寄せる。
運とは、自然の潜在力であることに気付いている者は少ない。
野生のパワーを持った人間が楽観的になり、「なんとかなる」と言えば、本当になんとかなるような気分になり、実際になんとかなってしまう。
アメリカン・ヒーローの1人であるターザンは、昔は、まさにネイチャーボーイ(野生児)の顕現のような存在で、文明に打ち勝つあらゆる強さを持っていた。
知的でありながら、その問題解決法は文明人の論理とは違い、より神の叡智に近かった。
大芸術家の横尾忠則さんが、自分の芸術の原点はターザンだと述べているが、ターザンには宇宙の意思に沿った叡智と自然のエネルギーがあり、ターザンの物語を通じて、それに触れることが出来るのである。
我々は、神のように若く、神のように創造するには、自然の叡智とエネルギー、それに、楽天性に欠けている。
元気がなく、引き寄せが出来ない根本的な原因は、そんなところにある。
だが、改善は、上に述べたように、それほど難しくはない。
1つは自然と共にあること。
都会の人間より、大自然の中で生きる人々の方が元気であることから、それが分かる。
どんなに便利でも、人工的なものの中にばかりいると、所詮、動物である人間は生命力を低下させる。
DNAは極めてゆっくり(一説では部分的にも1万年単位で)変化するので、動物としての人間は、数万年の昔から、それほど変わっておらず、電磁波や静電気に対応する身体になっているとは思えない。
だから、人間は、時に電磁波を避け、日に当たり、土に触る必要がある。
夏は、海に山にと出かけたいものである。
ただ、人間の脳は、思考力だけでなく、記憶力や想像力も発達したので、どうしても自然に接する機会がないなら、想像で自然の中に入っていくのも有効だ。
むしろ、人工的なしょぼい山や海よりは、想像で、壮大で激しい自然の中に行った方が良い部分だってある。
未開民族の元気な人々を映像で良いから観察し、脳内のミラーニューロンの機能で、彼らと同調して元気になることも出来る。それには、見ているだけで良い。むしろ、考えずに感じる方が良い。
また、『古事記』や『ギリシャ神話』を読むと良い。
鬱や不安症になった人間が、これらを読むと精神が安定することがよくある。特に、子供の場合、顕著である。
その理由は、『古事記』や『ギリシャ神話』に描かれた神は、自然の生命力そのものであり、想像の力を借りて神を見ることで、自分の内側にある生命力を蘇らせる。まさに、神はわが内にあり、我、神なりなのである。
そして、自然に接することと共に大切なことは楽天的であることだ。
楽天的であることほど、人間を活性化させることはない。
ただ、楽天的であることと自然は無関係ではなく、自然に接することで、勝手に楽天的になるのである。
だから、未開民族には楽観的な人間が多い。
確かに、疑うことは大切だが、それと悲観論は違う。
むしろ、悲観論者は、前提や常識を疑うことをしないものである。
それに、いくら考えたって、最後は運まかせになることは少なくない。
そして、楽観的であれば、運だって引き寄せる。
運とは、自然の潜在力であることに気付いている者は少ない。
野生のパワーを持った人間が楽観的になり、「なんとかなる」と言えば、本当になんとかなるような気分になり、実際になんとかなってしまう。
アメリカン・ヒーローの1人であるターザンは、昔は、まさにネイチャーボーイ(野生児)の顕現のような存在で、文明に打ち勝つあらゆる強さを持っていた。
知的でありながら、その問題解決法は文明人の論理とは違い、より神の叡智に近かった。
大芸術家の横尾忠則さんが、自分の芸術の原点はターザンだと述べているが、ターザンには宇宙の意思に沿った叡智と自然のエネルギーがあり、ターザンの物語を通じて、それに触れることが出来るのである。
我々は、神のように若く、神のように創造するには、自然の叡智とエネルギー、それに、楽天性に欠けている。
元気がなく、引き寄せが出来ない根本的な原因は、そんなところにある。
だが、改善は、上に述べたように、それほど難しくはない。
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古本屋さんで、たまたま③だけあったので、③から読むことになりました。
神様は、自分自身を体験するために、肉体を持つ人間を作った。
神は、存在するすべて。
肉体を持つ私達は、楽しさ、悲しさ、驚き、苦しみ、恐さ、色々なことを体験し感じれること、それが、魂にとっては嬉しいことなのです。
私も、時々、海や公園など、お散歩しますが、色々な発見があって楽しいです(◍•ᴗ•◍)