今の大相撲は、横綱が率先して稽古をしなければならないような雰囲気になっているのだと思う。
これでは、本当に強い横綱は出ないと思う。
おそらく、戦前とか、もっと昔の横綱は、部屋の力士達が練習している間、悠然と座っていたと思うのだ。
なぜなら、横綱というものは、普通の力士が努力してなれるものではなく、極意を掴んだ者であるはずだからだ。
その極意とは、力を抜くことである。
横綱は、1人で稽古をすることも多かったと思う。稽古の様子を見せないためだ。
分からない者にとっては、力を抜く稽古は誤解されるからだ。
合気道の塩田剛三は、極意は確かに力を抜くことだが、力を抜くことを分かるためには、まず力を出す修行が必要なので、若い連中は徹底的にしごいたという。
しかし、それはどうかと思う。
政木和三さんは、50歳を過ぎてからゴルフを始め、関西シニアで優勝したり、年齢以下のスコアで回ってギネス認定されたこともあるらしい。
そして、トッププロでもなかなか出せない370ヤードを飛ばしたりであったが、その極意は、やはり、力を抜くことであると、何度も言っておられた。
しかし、政木さんは別に、「力を抜くことを分かるためには、まずは力を出す修行」などとは言わず、最初から力を抜くことを勧めた。確かに、なかなか出来ないが、それは、「飛ばすためには力が必要」という固定観念のためで、意識を変えれば、すぐに飛ばせると思う。

個人的には、昔やったセールスの仕事も同じと思う。
売ろう売ろうと思うとさっぱり売れないが、売ろうという意識を捨てて、ふわっと客のところに行くと売れ、私は、駆け出しの時にベテランセールスマン達を抜いてセールスコンテストで優勝した。
まあ、その後、売ろうとして売れなくなってしまったが、これもやはり、力を抜かないとうまくいかないことを示していたのである。

このブログで、腕振り運動や佐川流四股をよく勧めているが、どうしても、普通の人がこれらをやる時、腕や脚の筋肉が疲れたり、汗をかくように、力を入れてやる人が多いはずである。
運動というのは、シンドいもの、キツいもの、辛いものだという固定観念を持つよう、学校やテレビで洗脳されているからだ。
また、これらの運動を、「老人向け」と、頭から馬鹿にする人も多いと思う。
だが、これらの運動は、力を抜き、楽々と長時間やってこそ、辛い運動をはるかに超える成果を出せる。
実のところ、腕振り運動や四股に限らず、腕立て伏せやスクワットでも、楽な方法でやった方が効果があると思う。
もちろん、辛い運動が好きというのは、個人の趣味であり、それに難癖をつける気はさらさらないが、他人に強要してはならない。
楽な運動で、十分な、そして、マッチョマンになるのとは全く違う、本当に素晴らしい成果を得られると思う。








  
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