現代人は考えなくなったとか、頭を使わなくなった等ということは、かなり昔から言われていて、ひょっとしたら、古代から「今の若者はだらしない」と言われていたのと同じようなものかもしれない。
そもそも、アダムとイブが知恵の木の実を食べた時から、人類はロクなことを考えなくなったのかもしれない(笑)。

では、本当に考えるとはどういうことかというと、2つの言い方をすれば、1つは、無意識と対話するということで、もう1つは、魂の声を聞くということだ。
無意識と対話するというのも、魂の声を聞くというのも同じことと思う。
丁度、徳川家康が、天下を取る秘訣には、長い方と短い方があり、短い方が「上を見るな」で、長い方が「身の程を知れ」であると言ったようなものだ。

時代が進むごとに、多くの人類は、無意識と対話しなくなり、魂の声を聞かなくなり、上を見るようになり、身の程を知らないようになった。
なぜ、無意識と対話しなくなり、魂の声を聞かなくなったのかというと、意識で余計なことを考え、自我の声にばかり従うようになったからだ。
言い換えれば、邪なことばかり考え、それを我慢せずに実行しようとしたからだ。
そして、それ(邪なことばかり考え、それを我慢せず実行しようとする)は、上を見ることであり、身の程を知らないということだ。
つまり、なんと、徳川家康は、天下取りの秘訣は、「ちゃんと考えろ」だと言ったのである。

で、なんで現代人が、邪なことばかり考え、それを我慢せずに実行するようになったのかというと、学校やマスコミが、そうするよう導いたからだ。
誰がそんなシステムを作ったのかは分かっているが、話がややこしくなるので言わない(笑)。
それより、肝心なことは、考える頭を取り戻すことだ。
それ(考える頭を持つこと)は本来、しつけられて身に付けることだが、今は、自分で自分をしつけるしかない。
悪い教育を受けた者が、自分を自分で教育するというのと同じである。
それはとても簡単なことだが、やりたくないと思うことでもある(笑)。
それは、「勝手気ままに振る舞いたい気持ちを適切に抑えること」だ。
現代人が、いかにこれが出来ないかが分かると思う。
簡単な例でいえば、美味しいものを沢山食べたいと思うのは当たり前で、それ自体は悪いことではなく、むしろ必要なことであるが、美味しいものばかり食べたり、食べ過ぎてはいけないということだ。
休みたがることも、それ自体は当たり前で必要でもあるが、ゲーテの『ファウスト』で神様が言ったように、人間は無制限に休みたがる。
それで神様はどうするかというと、怠惰な人間のところに悪魔を派遣し、その人間を悪魔として生きさせるようだ。

心の低いところから来る欲望を無制限に肯定せず、それを適切に抑えることをモラルと言う。
モラルがない者には、正しい判断は決して出来ず、いつも愚かな結果を導く。
悪魔や動物霊の力を得て、エネルギーが余っているうちは、それでも一時的に良い思いをすることもあるが、後の悲惨さ惨めさは半端ない。

どこかの売れっ子自己啓発家が、「証拠も実績もなくても、自分は凄いと思え」とか言っていたが、それはそれで良いことだと思うが、凄いか凄くないかはどうでも良いことだ。
つまり、それ(自分は凄いと思う)だけでは、何も起こらない。
もっと大切なことは、モラルがあることで、神はモラルがない者を助けない。
モラルがある者、つまり、勝手気ままに振る舞いたい気持ちを適切に抑えられる者が一番凄く、そんな者を神様は護るので安らかである。

ちなみに、毎日、少なくとも千回、腕振り運動をしたり、あるいは、千回、四股踏み運動をすれば、それだけで、勝手気ままを適切に抑えること・・・言ってみれば「自己制約」の力が高まると思う。
神様は、おそらく、自己制約の力の倍の力をその者に与え、その者に世界を闊歩させる。これが、この世の貴い秘密である。








  
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