因幡の源左(いなばのげんざ。1842~1930)は、江戸時代末期から昭和の男性で、Wikipediaやweblio辞書に載っているくらいだから有名人であり、彼のことを詳細に綴った本や、彼の語録を集めた本もあるし、彼の話を引用した本はかなり多い。
では、因幡の源左は、どんな業績を上げた人かというと、特にないと言うか、商業的、政治的といった物質的なものでは何もない。
それなら、宗教人かというと、彼はただの農民で、僧侶や牧師といった類の、宗教を職業とする人ではなく、宗教ということでは、単に、仏教の信仰者の一人だった。
彼は、「妙好人(みょうこうじん)」と呼ばれる。
妙好人とは、浄土仏教の在家の熱心な信仰者で、特に、浄土真宗の信仰者を指し、念仏者であると言える。
とはいえ、因幡の源左は、信仰振りが凄かったのかというと、彼が長時間、一心不乱に念仏を唱えていたというような話はなく、やはり、ただの農民なのである。
では、そんな彼がなぜ名を残しているのかというと、実は難しいのだが、超越した人間性のためとしか言えないと思う。
そんな彼の人間性を示すお話は多い。
例えば、彼の畑の芋が掘り起こされて盗まれた時のことだ。
それから権左は、畑に鍬(くわ)を置きっぱなしにした。
その理由を尋ねると、「手で掘って怪我をしてはいけないから」だった。
また、権左が町に出て、作ったものを売り、お金を持って帰る時、強盗が彼の金を奪おうと、彼の後をつけてきていた。
すると、権左は、強盗に近付き、
「お前がついてきているのは気が付いている。金が欲しいならやるから、とりあえず、家に来い」
と言って自分の家に連れて来ると、食事を振る舞った。強盗は改心して帰っていったという。
また、こんな話もあったと思う。
権左が訪れた家で金がなくなり、盗まれたと思われた。
権左の仕業と決めつけた、その家の者が権左に「返せ」という額を権左は黙って支払った。
しかし、後で、その金が見つかり、その家の者が権左に謝罪するが、権左は別に気にしていない様子だったという。

権左は、「いい人」と言うよりは超人だったと思う。
では、なぜ、権左は超人になったのか?
念仏を唱えたということもあるが、彼には悟りというものがあった。
そのきっかけは、彼が19歳の時に、父親が亡くなったことだ。
父親は死ぬ直前に、権左に「これからは親様を頼れ」と言った。
ここで言う親様とは、阿弥陀仏のことだ。
それなら、念仏を唱えて、阿弥陀仏の力を頼れば良いのだが、これは誰しもそうだが、神仏に頼るということは本当はどういうことか、権左には分からなかった。
だが、こんなことがあった。
権左が、彼が可愛がっている牛を連れて、山に草刈りに行った時のことだ。
彼が刈った、大きな草の束のいくつかを牛に背負わせ、自分も1つ背負って帰ろうとしたが、やがて、権左は疲れてしまった。
そこで牛に、「すまんがこれも頼む」と言って、自分が背負っていた草の束も牛に背負わせたが、牛はいっこう平気そうで、自分はすっかり楽になった。
その時、「阿弥陀仏に頼む」とは、こういうことだと悟った。
はからずも、イエスが「重い荷を負った者は私に預けよ」と言ったのと同じである。
権左とほぼ同時代のインドの聖者ラマナ・マハルシも「神はいかなる重荷にも耐える。荷を下ろして安心しなさい」と教えている。

まあ、早い話が、「がんばるな」ということである。
だが、「がんばるな」と教える、宗教がかった自己啓発指導者は今でも多いが、世の中を見ると、がんばらない者にはロクなやつがいないことも確かである。
「少しはがんばらんか!馬鹿者!」
と言いたい連中がそこかしこにおり、やっぱり、何かは頑張らないといけないのかと思う。
斎藤一人氏の本を見ると、最初のうちこそは、「ツイてる」とか「ありがたいなあ」と言えばうまくいくと書かれていて嬉しい気分になるが(笑)、読み進めていくと、なんだか話がどんどん難しく抽象的になっていき、厳しいことをどんどん言い、「俺のように、こんなふうにしないといけない」という妙な話になっている(笑)。

だが、話は簡単だ。
まず、がんばる必要はない。
だが、モラルが必要なのだ。
がんばらないロクデナシにはモラルがない。
モラルとは、個人的欲望を抑える、つまり、自己制約のことだ。
別に、無制限に制約しろと言うのではない。
ただ、放埓(勝手きまま)では駄目で、限度を守るということだ。
その限度を知る者を、モラルを持った者と言うのである。
言い換えれば、「放埓に振る舞いたい気持ちを抑え、自分に制約を課すること」がモラルであり、モラルがない者がうまくいくことはない。
斎藤さんにしろ、皆、なんでこんな簡単なことを言わないのか不思議である。
いくら「ツイてる」「ありがたい」と言っても、モラルがない者が成功することはない。
しかし、モラルがあれば、難しい話は不要で、「ツイてる」でも「大丈夫」でも、何と言ってもうまくいくだろう。
因幡の源左は、ただのいい人ではなく、モラルがある人だった。








  
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