私は、近年の日本で本当に神的な力を持っていたのは、黒住宗忠(1780~1850)であったと思う。
黒住宗忠の関係について、私には、こんな思い出がある。
私は、政木和三さんが存命であった時、岡山の林原生物科学研究所の中にあった政木研究所に政木さんを訪ねた際、政木さんから、当時、既に絶版であった、政木さんの著書『精神文明と奇跡』を直接いただいた。
政木さんの前に出現した、素晴らしい観音像、大黒天像、えずび像のカラー写真が掲載された貴重な書で、表紙、裏表紙の絵は横尾忠則さんが、この本のために描かれたという豪華な本だと思う。
そして、この本の目次の前の冒頭部分に、黒住教第六代教主、黒住宗晴さんが「警告の書」と題した文を寄せられている。
※余談
政木さんの研究所には4人で尋ねたが、私だけその本をもらえた理由は、おそらくこうである。
私が政木さんと話していた時、不意に脈絡なく、政木さんに「政木先生は横尾忠則さんをご存じですか?」と尋ねると、政木さんは黙って壁を見た。すると、そこには、政木さんの見事な肖像画が飾られていて、銘を見ると「横尾忠則」と書かれていた。
なぜ私に、急に横尾忠則さんのことが思い浮かんだのかは分からない。
黒住宗忠の伝記として、最も純麗なものは、吉川弘文館の『人物叢書 黒住宗忠』(原敬吾著)であると思う。
私が購入した古書は、昭和48年(1973年)の6刷で、初版は昭和35年(1960年)である。
尚、1987年に新版が出ており、現在も販売されているが、おそらく、書の中身は同じと思う。
文章は口語であるが、黒住宗忠の言葉は文語で引用されている。しかし、そう難しくはないと思う。
ところで、今でも、いろいろな人が、「ありがとう」「ありがたい」という言葉を口や心で言うと、良いこと、あるいは、奇跡が起こるという話を、よくしていると思う。
それを、昔にすでに言っていたのが黒住宗忠であった。
こんな話が、上記の『人物叢書 黒住宗忠』に書かれている(149頁)。
宗忠の弟子の直原伊八郎が、宗忠と一緒に寝泊まりした時のことだ。
朝、目が覚めた宗忠は、起き上がると、雨戸を1枚空け、「あゝ、有り難い」と言ったという。
伊八郎は、後に、誰かへの手紙の中で、
「くれぐれも、ただ、有り難いと言うことを忘れないよう。私は毎朝、必ず言っている」
と書いている。
また、宗忠の門人が、宗忠に、
「寝ても覚めても有り難いという心が起こりません。どうすれば良いですか?」
と尋ねると、宗忠は、
「たとえ真似でも、口先でも良いから、いつでも、有り難いと言いなさい」
と教えている。
そして、こんな話がある。
岡山藩の身分の高い武士が、らい病(ハンセン氏病)に罹り、噂に高い宗忠を訪ねてアドヴァイスを求めた。
すると、宗忠は、
「ただ一心に、有り難いと百回唱えなされ」
と答えた。
武士は言われた通りやってみたが、1週間経っても効果がなかった。
そこで、もう一度、宗忠を訪ねると、宗忠は、
「一心不乱に千回」
と言うので、武士はやってみたが、やはり回復しない。
そこで、また行くと、宗忠は、
「一万回」
と言うので、その通りにやると、1週間後、武士は吐血して、疲労のため熟睡し、翌朝目が覚めると、らい病は治り、皮膚はすっかりきれいになっていた。
一万回は難しいかもしれないが、出来る範囲で、「ありがたい」あるいは「ありがとう」と唱えると、問題が解決していったと言う人もいる。
ウォーキングなど、軽い運動をしている時に唱えるのが特に有効と言う人もいる。
腕振り運動は、数を数えながらやるのが原則であるが、「ありがたい」と唱えながらであるなら良いと思う。
やってみてはと思う。
黒住宗忠の関係について、私には、こんな思い出がある。
私は、政木和三さんが存命であった時、岡山の林原生物科学研究所の中にあった政木研究所に政木さんを訪ねた際、政木さんから、当時、既に絶版であった、政木さんの著書『精神文明と奇跡』を直接いただいた。
政木さんの前に出現した、素晴らしい観音像、大黒天像、えずび像のカラー写真が掲載された貴重な書で、表紙、裏表紙の絵は横尾忠則さんが、この本のために描かれたという豪華な本だと思う。
そして、この本の目次の前の冒頭部分に、黒住教第六代教主、黒住宗晴さんが「警告の書」と題した文を寄せられている。
※余談
政木さんの研究所には4人で尋ねたが、私だけその本をもらえた理由は、おそらくこうである。
私が政木さんと話していた時、不意に脈絡なく、政木さんに「政木先生は横尾忠則さんをご存じですか?」と尋ねると、政木さんは黙って壁を見た。すると、そこには、政木さんの見事な肖像画が飾られていて、銘を見ると「横尾忠則」と書かれていた。
なぜ私に、急に横尾忠則さんのことが思い浮かんだのかは分からない。
黒住宗忠の伝記として、最も純麗なものは、吉川弘文館の『人物叢書 黒住宗忠』(原敬吾著)であると思う。
私が購入した古書は、昭和48年(1973年)の6刷で、初版は昭和35年(1960年)である。
尚、1987年に新版が出ており、現在も販売されているが、おそらく、書の中身は同じと思う。
文章は口語であるが、黒住宗忠の言葉は文語で引用されている。しかし、そう難しくはないと思う。
ところで、今でも、いろいろな人が、「ありがとう」「ありがたい」という言葉を口や心で言うと、良いこと、あるいは、奇跡が起こるという話を、よくしていると思う。
それを、昔にすでに言っていたのが黒住宗忠であった。
こんな話が、上記の『人物叢書 黒住宗忠』に書かれている(149頁)。
宗忠の弟子の直原伊八郎が、宗忠と一緒に寝泊まりした時のことだ。
朝、目が覚めた宗忠は、起き上がると、雨戸を1枚空け、「あゝ、有り難い」と言ったという。
伊八郎は、後に、誰かへの手紙の中で、
「くれぐれも、ただ、有り難いと言うことを忘れないよう。私は毎朝、必ず言っている」
と書いている。
また、宗忠の門人が、宗忠に、
「寝ても覚めても有り難いという心が起こりません。どうすれば良いですか?」
と尋ねると、宗忠は、
「たとえ真似でも、口先でも良いから、いつでも、有り難いと言いなさい」
と教えている。
そして、こんな話がある。
岡山藩の身分の高い武士が、らい病(ハンセン氏病)に罹り、噂に高い宗忠を訪ねてアドヴァイスを求めた。
すると、宗忠は、
「ただ一心に、有り難いと百回唱えなされ」
と答えた。
武士は言われた通りやってみたが、1週間経っても効果がなかった。
そこで、もう一度、宗忠を訪ねると、宗忠は、
「一心不乱に千回」
と言うので、武士はやってみたが、やはり回復しない。
そこで、また行くと、宗忠は、
「一万回」
と言うので、その通りにやると、1週間後、武士は吐血して、疲労のため熟睡し、翌朝目が覚めると、らい病は治り、皮膚はすっかりきれいになっていた。
一万回は難しいかもしれないが、出来る範囲で、「ありがたい」あるいは「ありがとう」と唱えると、問題が解決していったと言う人もいる。
ウォーキングなど、軽い運動をしている時に唱えるのが特に有効と言う人もいる。
腕振り運動は、数を数えながらやるのが原則であるが、「ありがたい」と唱えながらであるなら良いと思う。
やってみてはと思う。
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