世の中には駄目なやつがいる。
人に尊敬されるとか、リーダーになるとか、世の中で評価されるようなことをやる等といった可能性が全くない者だ。
こんなことを言うと「差別だ」と言う人や思う人がいると思うが、現実にそんなやつがいることを認めた方が良いと思う。
つまり、この世は、駄目な者にとっては残酷な世界と言える。
そして、この世界が残酷なものであることを認め、しかも、神秘を全く受け入れない者であれば、この世がそのようなものであることは、仕方がないことであり、受け入れるしかないという結論になる。
駄目な者は、つまらないことでしかなくても、出来る範囲で精一杯のことをするしかない。

確かに、駄目な者が大逆転をしたという話もある。
例えば、旧ソ連で実際にあったらしいが、ただの肉体労働者に催眠術をかけ、「お前は偉大な画家だ」と暗示をかけたら、その労働者は猛然と絵を描き始め、最初は下手だったが、見る見る上達し、ついには、作品がクレムリン宮殿に飾られるほどになったという。
しかし、言うまでもなく、この場合は、たまたま、その労働者に絵の天分があっただけで、他の人達に同じことをしても、ほぼ誰も画家になれないだろう。
これは極端な例であったが、「以前は駄目だったが、努力して駄目でなくなった」者というのは、やはり、元々能力があったと見なすのが自然である。
また、成功した者が、以前の自分を、実際以上に駄目であったと語ることは大変に多い。人間は、自分をドラマチックに見せるのが好きなものだ。

コンピュータープログラミングだって、「誰でも出来る」と言う者は多いが、どうしたって出来ない者はやはりいる。
一方、IQが高ければ、ちょっと頑張れば、楽々プログラミングが出来るようになる。
学校の勉強だって、IQが高ければ、授業をちょっと真面目に聞いていれば試験で良い点が取れるが、IQが低ければ、かなりの努力をしても、大した成績は取れない。

駄目な者は、1つのことだけをやるのが正解と私は思う。
私も、学校で全科目やったら、努力しても成績は全教科最低になるのは分かっていたので、数学に特化して、数学だけはそこそこの点が取れた。
運動神経がないやつが、空手や少林寺拳法をまともに習っても、全然強くなれないので、1つの攻撃に絞って神技に高めるのが正解であると私は思う。
つまり、どんな駄目なやつでも、1つの「これだけ」に絞れば、それに関してだけは人に優るようになれる。
いかに理不尽で残酷な世の中でも、そのくらいの能力は駄目な者にも与えられているのである。
プログラミングでも、Excel VBAだけであれば、時間がかかるかもしれないが、実用的なプログラミングが出来るようになれる。ただし、それをしようと思ったら、VBAの小難しいテクニックを得意気に言ったりSNSに書いたりするような者を相手にしないこと。連中の言うマニアックなテクニックなど、私もほとんど知らないし出来ない。まずは、本当に必要なことをしっかりやらないと、誰でも出来るはずのことが、永遠に出来ないことになる。
他にも、話術、コピーライティング、経済学、社会保険など、特化して「これだけメチャクチャ出来ます(分かります)」と言えるようになれば、良い思いが出来、不安がなくなるだろう。








  
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