日本人が、かつては非常に勤勉であったことを知らない若い世代が多くなってきたと思う。
そもそもが、実際に勤勉であったのは、概ね、現在の70代以上ではないかと思うのだ。
そして、日本人がなぜ勤勉であったのかというと、かつては全ての小学校に存在し、いまでも、多くの小学校に残る、二宮金次郎像が関係する。
薪を背負って運びながら本を読む、あの二宮金次郎像だ。
この像は、どんな状況下にあっても学問に励めよというメッセージと共に、しっかり働くこと、怠けないことを貴く感じさせるもので、これによって、日本の子供達が勤勉さを善とするよう教育したが、大人への影響も大きかったのだと思う。
そして、元々は大して有名でもなかった二宮金次郎を勤勉の象徴にして、日本人を働きバチにしたのは、何とアメリカだった。これはもうはっきりしているのだと思う。

ところで、第二次世界大戦前の日本人は、心を重んじる国民で、第二次世界大戦後とは、全く別物であると考えられている。
貧しい家でも、花屋で花を買うという、西洋ではおよそ考え難いことが普通に行われ、来日した西洋人を驚かせたほど、風流であった。
昭和の時代に大人気であった時代劇ドラマのために、大誤解がされているが、江戸時代は庶民文化が栄え、経済的にも発展し、治安も良かったといわれる。
武士による町人や農民の切り捨て御免などとんでもなく、そんなことをすれば殺人罪で、刑罰も重く、家は断絶させられたという研究者の話もある。
冤罪のことを考えると問題もあるが、今で言う刑務所である牢屋式は、入れられたら生きて帰れないことも少なくないほど厳しく、それが犯罪の抑止になっていたのも確かだったようである。

つまり、日本人は、第二次世界大戦を境に、全く別物に作り変えられているのである。
そこまではアメリカが行ったが、その後、学校やマスメディアに侵食し、それらを巧妙に支配下に置いて日本人を洗脳したのは旧ソ連で、後には、中国も日本人のマインドコントロールに深く参戦していると思われる。
それ(ソ連や中国による民主主義国家の国民洗脳)は、日本に先行してアメリカで行われており、旧ソ連ら社会主義国家の策略は、アメリカ人や日本人のモラルを破壊し、正常な判断力を奪うことだったと言えると思う。
忘れてはならないことは、モラルを持たないと、人間は、正常な判断、正常な思考が出来なくなることである。

自主的にモラルを取り戻せば、社会主義国家にマインドコントロールされていた長い暗闇も終わる。
アメリカに亡命した有名な旧ソ連の元スパイによれば、モラルを破壊する洗脳教育には15年から20年かかり、元に戻すのも同じくらいかかるらしい。
しかし、私はそうは思わない。
モラルとは、早い話が道徳的な行いをすることであるが、それよりも、モラルとは魂の声に従うことであり、魂の声に従う者が真の意味で高貴なのである。
高貴ということも、随分誤解されているかもしれないが、泣き言を言わないことが高貴なのであり、言い訳をしないことが高貴なのであり、弱い者いじめをしないことが高貴なのであり、欲張らないことが高貴なのだ。

アーサー王物語を読んでも高貴は分からないし、古事記も、改ざんでもされているのか、高貴さが失われているように見える。しかし、古事記の中で、庶民が貧しいことを自ら感じ取り、税を免除した天皇は高貴であったと思う。
私は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が最も高貴な作品であると思う。
『星の王子さま』や『かもめのジョナサン』もそうだと思うが、『銀河鉄道の夜』ほどではないと思う。
それで言えば、私はまだ、アンデルセンの『絵のない絵本』をお勧めしたい。
『銀河鉄道の夜』では、カンパネルラがモラルを持つ高貴な人間の象徴で、ザネリがモラルを失った者の象徴だ。現在の日本人は、ザネリばかりになり、カンパネルラはいなくなった。
そして、ジョバンニの状態にある者がいくらかはいる。
日本人をマインドコントロールしたアメリカも、旧ソ連も、中国も、宮沢賢治は見逃していた。
我々が全てを取り戻す鍵は、宮沢賢治が魂の声を聞いて書いたに違いない『銀河鉄道の夜』にあると思うのである。








  
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