「人生は大したものではない」「人間は大したものではない」「あなたは大したものではない」と言うネットの人気者がいるようだ。
その理屈は、だいたい、
・ほとんどの人には、さほどの才能や能力がない
・スーパースターになれるのは、一握りの特別な才能がある人だけ
・自分に才能があると思うのは、自己啓発本に騙されているだけ
あたりに集約されると思う。
そして、才能もないくせに、凡人に甘んじるのは嫌だと思っている者(中二病)ほど滑稽なものはなく、また、そのままでは人生を棒に振る恐れもあるので、早めに諦めて楽な道を選べというわけだ。

実は、この論には、私も反対ではないのだが、1つ抜けているのだ。
『荘子』の中に、こんなことが書かれている。
「本物の神人は、お前には区別がつかない」
つまり、神人は、そこそこいるのだが、凡人のフリをしている。
一方、有名なスーパースターなんて、操り人形に過ぎず、少しも幸福でないものだ。
だから、学校やマスメディアや自己啓発本が宣伝するようなスターなど目指さないことだ。
神人は、力の及ぶ範囲に違いがあるだけで、その気になれば誰でもなれる。

私は、W.B.イェイツの『ラピス・ラズリ』は、暗記しておくべき詩と思う。
イェイツは、世界のカラクリを全部知っていたわけではなかったと思うが、天才詩人の直観で気付いた肝心なことは、この詩に全部書いてある。
イェイツの時代は漫画が無かったので、彼はシェイクスピアの戯曲を使って説明しているが、漫画の方が分かり易いので、漫画で考えても良いと思う。
劇の主役たる、ハムレットも、リア王も、オフィーリアもそこいらにいる。
で、本物のハムレットなら、これが劇であることを知っているし、自分が劇の登場人物、つまり、漫画のキャラクターであることも知っている。
だから彼らは・・・陽気なのだ。
彼らは泣いたりしない。シャンとしているのである。
また、高貴な魂を持とうとしている。でないと、劇の主役を張れないことも分かっているのだ。

ダンテにいたっては、イタリア文学の最高傑作とまで言われることになる自分の作品に『喜劇』と名付けた。
それが、『神聖なる喜劇』という御大層な題名になってしまい、日本では、森鴎外という困った人が(笑)『神曲』というわけのわからないタイトルにしてしまった。
だが、ダンテは、9歳の時からずっと憧れたが、相手にされないまま24歳で亡くなったベアトリーチェとの大ロマンスを書きたかっただけかもしれない。ただし、やはり、高貴な魂を持ってね。
ダンテは、この世界が劇であることは、あまり分からなかったのかもしれない。
だが、イェイツが「ルネッサンス最高」とまで言ったダンテの想像力は偉大だ。
だから、『喜劇』もしくは『神曲』を読んだ人は、分かってくれるだろう。








  
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