願いが叶った様子をイメージすれば叶うと言う。
イエスは、「願いがあれば、叶ったと思え。そうすれば叶う」と述べたと福音書に書かれている。
しかし、願ったことが実現したイメージとか、あるいは、叶ったという思いは、1つの願いであったとしても、複雑だったり、不明確だったり、気分によってコロコロ変わったりで、実際のところ、手に追えないのではと思う。

ところで、最近、私が気に入っている考え方は、「自分は漫画のキャラクターだ」というものだが、実際に、その通りだと思っても良いと思う。
もちろん、自分は、映画の登場人物だとか、アニメのキャラクターだと思っても良いし、「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツは劇を演じている役者だと言った。
だが、これらの中で、漫画が格段に単純でイメージし易い。
映画やアニメや劇は、自分が望む情景を動きや、時間の推移の中でイメージしなければならない。
一方、漫画は、1コマの絵(静止画)で済んでしまうのだ。
そして、漫画をよく読む人なら、漫画の絵は動かなくても、心によって、音や動きを感じ、映画や、あるいは、現実世界より生き生きとしていることだってあると思う。
ならば、願いが叶った様子を漫画でイメージすれば良いのである。

例えば、高収入になった様子を、映画や、アニメや、劇でイメージしようとしたら大変だ。
1つの場面では意味をなさず、場面の移り変わりと動きの中でイメージしなければならず、そもそも、お金が沢山入って来ることを、どうイメージすれば良いか難しい。
しかし、漫画であれば、たった1コマで良いのだから簡単だ。
例えば、ポルシェの運転席に座ったり、飛行機のファーストクラスに乗ったり、高い服を着ている1コマの絵で十分だ。
そして、コマ内に、「高収入になり、ポルシェを買った」などと書いておけば、さらに明確になる。
あるいは、ゆったり落ち着いてソファに座っている自分を描き、「高収入になった」の一行を足せば良い。

私が、小学校5年生の時、学校の図書館で、シーラカンスの本を読んだことがあった。
その時、頭の中で、自分がテレビを付けたら、シーラカンスの映像が出る漫画の1コマを思い描いたことがある。
家に帰る頃には、そんなことは忘れていたが、家に帰った後、何の気なしにテレビを付けたら、何やら、大きな魚が泳いでいる映像が映っていたが、それはシーラカンスだった。
このようなことは、何度も書いたと思うが、頻繁に起こしている。
世界って、本当に漫画なのである。

手塚治虫は、漫画は絵ではない、記号だと言ったが、それはやはり、漫画では、ものごとを単純に表現出来るということだ。
そして、さっきも述べたが、想像力があれば、単純な記号であっても、十分にリアルなのである。
それは、空の雲がお菓子や動物に見えたり、壁のシミがオバケに見え、しかも、それが心を大きく動かすことと同じなのである。

上で述べた「漫画イメージ法」を使えば、世の中に大きな影響を与えることでなければ・・・つまり、個人の潜在意識の範囲のことなら簡単に叶う。
そして、やがて、世界を動かすことも出来るようになる。
その際に、重要なことは、欲張らないことと、モラルを持つことである。
なぜなら、欲張ると、自分が責任を負えないようなことを望み、もし叶ったら、大変な目に遭うからだ。
そして、モラルがないと、世界からの反発を受け、叩きのめされることになるのである。








  
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