世の中には、涙ぐましいまでの努力をして、成功者、勝利者、エリートになることを夢見るが、結局、ワーカー(労働者)やソルジャー(兵隊)にしかなれない者がいる。
SF作家の平井和正さん原作の石ノ森章太郎さんの漫画『幻魔大戦』の主人公である、東丈(あずまじょう)が、全くそんな人間だ。
生まれつき身体が小さく、子供の時、近所の子供達にいじめられていると、弟が助けに来る始末だった。
その弟と共に柔道を習いに行くが、弟の方がずっと強い。
何をやっても、あまりに駄目な上、ある日、父親が姉に「きょうだいの中に、一人くらいは出来損ないがいるものだ」と言うのを聞き、自殺をしようとするが、心優しい姉に慰められる。
姉は、「丈ちゃんが誰からも尊敬される立派な人になるまで、ずっと傍にいる」と約束する。
姉は、本当の愛の持ち主だった。
そして、丈は、大きな目標を立て、厳しい努力をするようになる。
彼は、努力さえすれば、どんな目標でも達成出来ると信じた。
高校では、大学は東大、そして、小さな身体で野球部でサードのレギュラーを目指し、「ボロ雑巾のようになるまで」の頑張りは、誰もが認めた。
そんな丈が、3年生になる。
ところが、模試の成績は振るわず、教師からは東大は諦めるよう言われるが、丈は決して受け入れない。
そして、野球部では、サードのレギュラーポジションは確実だと信じたが、1年生にその座を奪われてしまう。
それほどの努力をしても、何も得られなかったのである。

なぜ、丈が上手くいかないのかというと、生まれつきの能力が低いからで、そんな人間が努力をしたところで、生まれつき優秀な人間のようになることは出来ないという、厳しい現実がある。
だから、生まれ持っての能力が大したことがないなら、大きな望みなど持たず、無駄な努力などしない方が、精神的に良いという声も、よく聞くようになった。
だが、丈の場合は、子供の時からの劣等感や屈辱感が恨みのエネルギーとなり、彼を努力に掻き立てたのだ。
しかし、彼を待っていたのは、失望と落胆だった。

特に今の時代は、才能はあっても、環境(主に親の経済力)が悪いために、望むようなことが出来ない者も多い。
だが、才能があれば、恵まれてさえいれば手に出来たかもしれない最高の成果を得られないまでも、それなりには成功出来る可能性が高いし、チャンスがあれば大飛躍もあり得る。
しかし、才能がなければ、一生、虫のように地面を這うのみだ。

生まれ持っての才能がない者は、どうすれば良いだろう。
イチローさんや米津玄師さんのような、努力もしただろうが、間違いなく偉大な才能があったからトップに立てた人を羨みながら死ぬしかないのか?
ところで、上の東丈の場合はどうだったのか?
出来損ないで、存在価値などなかった彼が、こう言われたのだ。
「宇宙広しと言えども、丈ほどの才能に恵まれたエスパー(超能力者)はそうはいない」
なんと、ちっぽけな世界の中ですら皆に見下されていた丈が、宇宙の中でトップになったのである。
これを見て、「では俺もエスパーで」と思うような者もいて、変な宗教団体なんかに騙されるのだろう。
だが、エスパーというのではないが、実のところ、普通の意味での才能がない者が、異能の才能を持っていることは、よくある。
平井和正さんや、石ノ森章太郎さんといった天才達は、そんなことを感じていたのだと思う。
そして、そんな異能の才能を持った者の特徴も分かっていたのだろうと思う。
その特徴は、詳細には分からないが、例えば、途方もなく優しいとか、弱い者いじめを決してしないとか、悪人の命も大切にし、誰も見捨てないといった性質などが、それに該当すると思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ