この世界に、悪霊というものが存在するかというと、宗教的、伝説的な意味とは異なるかもしれないが、悪霊と呼ぶべき存在はあるのだと思う。
ある種の電磁波が人間の心身に悪影響を与える可能性が示唆されることがあるが、悪霊も、何らかの意味で歪んだ電磁波として、ある程度説明出来るかもしれない。
そして、そんな悪霊が、人間を病気にしたり、病気ではないにしてもマイナスの影響を、長期、あるいは、瞬間に与えるのだと思う。
これは、非科学的なことではないと思うが、現代の科学では、完全に説明することは出来ないだろう。
しかし、現代の科学的な手段とは異なる方法であっても、悪霊を除去する・・・つまり、電磁波の歪みや不協を調整すれば、病気が治ったり、精神が安定したり、結果、人生が良い方向に回り出すということはあるのだと思う。
例えば、私の家に昔、先祖の遺骨を持ち込んだ人がいて、それ以来、家族に不幸が次々起こり、私も霊現象と思われるものに苦しめられた。
しかし、神主にお祓いをしてもらい、お札をもらって貼ると、そんなことが起こらなくなった。
これも、悪霊の存在と、その浄化というものがある証拠のようなものと私は考えている。無論、単なる偶然と思う人もいると思うし、そう思うことを悪いとは言わないが、自分で経験してみると、なかなかそう(偶然が重なった出来事だった)とは思えないようなことであったと思う。
もちろん、全てではないが、宗教的儀式、宗教的アイテム(タリスマンやアミュレット)、お経、祝詞、真言、神仏の名には、悪霊を祓う(遠ざける、消す、浄化する)力があると思う。
だから、悪霊により、上手くいかない、悪いことが起こると感じる場合には、それらにより、悪霊の退散や浄化を試みるのも良いと思う。
その最も簡単で、しかも、強力な方法が真言である。
神仏の真言はもちろん、神仏の名そのものも真言であり、堕落した宗教に関わるものでない限り、長く人々が、それらの真言の周波数を高めてきたので、その言葉を口にしたり、心で唱えると、悪霊を祓う効果があるのだと思う。1度や2度、唱えただけでは、大きな効果はないかもしれないが、数多く唱えることで効果を発揮するのだと思われる。
『法華経』の25章『観音経』で、観世音菩薩の名そのものに強い力があるので、これを唱えよというのも、私は悪霊祓いの意味ではないかと思う。
あるいは、神という言葉そのものも真言であり、さらには、生命、愛、平和といった、極めて肯定的な言葉にも真言としての力がある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中に、建造されてから5千年が経つという廟(寺院などの宗教施設)があり、その中にいれば自然に心身が癒されるのだが、その廟が昨日建てられたように新しく、破損しても元に戻ってしまうという、一般常識的には荒唐無稽な話がある。
この廟の中では、「生命、愛、平和」という言葉しか使われないのだという。
話に誇張があるとしても、これらの言葉が、悪霊とされる量子的な歪みや不協を調整し、マイナスの影響を除去しているということはあると思う。
だから、1つくらいは、真言、神仏の名、あるいは、神という言葉や、生命、愛、平和などの言葉を、度々、口に出したり、心で唱えると良いと思う。
あるいは、お守り、タリスマン(宗教的、魔法的な道具)、アミュレット(霊的なお守り)、お札(ふだ)を持つことも悪いことではない。堕落した人や団体によって作られたものは避けるべきであるが、そうでないなら、そして、高貴で清らかな伝統的宗教的な価値が認められるなら、安物でも効果があると思う。
ある種の電磁波が人間の心身に悪影響を与える可能性が示唆されることがあるが、悪霊も、何らかの意味で歪んだ電磁波として、ある程度説明出来るかもしれない。
そして、そんな悪霊が、人間を病気にしたり、病気ではないにしてもマイナスの影響を、長期、あるいは、瞬間に与えるのだと思う。
これは、非科学的なことではないと思うが、現代の科学では、完全に説明することは出来ないだろう。
しかし、現代の科学的な手段とは異なる方法であっても、悪霊を除去する・・・つまり、電磁波の歪みや不協を調整すれば、病気が治ったり、精神が安定したり、結果、人生が良い方向に回り出すということはあるのだと思う。
例えば、私の家に昔、先祖の遺骨を持ち込んだ人がいて、それ以来、家族に不幸が次々起こり、私も霊現象と思われるものに苦しめられた。
しかし、神主にお祓いをしてもらい、お札をもらって貼ると、そんなことが起こらなくなった。
これも、悪霊の存在と、その浄化というものがある証拠のようなものと私は考えている。無論、単なる偶然と思う人もいると思うし、そう思うことを悪いとは言わないが、自分で経験してみると、なかなかそう(偶然が重なった出来事だった)とは思えないようなことであったと思う。
もちろん、全てではないが、宗教的儀式、宗教的アイテム(タリスマンやアミュレット)、お経、祝詞、真言、神仏の名には、悪霊を祓う(遠ざける、消す、浄化する)力があると思う。
だから、悪霊により、上手くいかない、悪いことが起こると感じる場合には、それらにより、悪霊の退散や浄化を試みるのも良いと思う。
その最も簡単で、しかも、強力な方法が真言である。
神仏の真言はもちろん、神仏の名そのものも真言であり、堕落した宗教に関わるものでない限り、長く人々が、それらの真言の周波数を高めてきたので、その言葉を口にしたり、心で唱えると、悪霊を祓う効果があるのだと思う。1度や2度、唱えただけでは、大きな効果はないかもしれないが、数多く唱えることで効果を発揮するのだと思われる。
『法華経』の25章『観音経』で、観世音菩薩の名そのものに強い力があるので、これを唱えよというのも、私は悪霊祓いの意味ではないかと思う。
あるいは、神という言葉そのものも真言であり、さらには、生命、愛、平和といった、極めて肯定的な言葉にも真言としての力がある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中に、建造されてから5千年が経つという廟(寺院などの宗教施設)があり、その中にいれば自然に心身が癒されるのだが、その廟が昨日建てられたように新しく、破損しても元に戻ってしまうという、一般常識的には荒唐無稽な話がある。
この廟の中では、「生命、愛、平和」という言葉しか使われないのだという。
話に誇張があるとしても、これらの言葉が、悪霊とされる量子的な歪みや不協を調整し、マイナスの影響を除去しているということはあると思う。
だから、1つくらいは、真言、神仏の名、あるいは、神という言葉や、生命、愛、平和などの言葉を、度々、口に出したり、心で唱えると良いと思う。
あるいは、お守り、タリスマン(宗教的、魔法的な道具)、アミュレット(霊的なお守り)、お札(ふだ)を持つことも悪いことではない。堕落した人や団体によって作られたものは避けるべきであるが、そうでないなら、そして、高貴で清らかな伝統的宗教的な価値が認められるなら、安物でも効果があると思う。
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