人間は自分の願いを叶える力があるが、どんな願いでも叶うわけではない。
では、どんな願いなら叶うのかと言うと、所詮は、強い願いである。
強い願いは、奇跡のように、魔法のように叶うことは、私も驚きと共に何度も体験したことを覚えている。
しかし、このように言うと、自分や誰かのことについて、「強く願ったが叶わなかった」と言う人もいるが、それも本当である。
最も明確なことは、人間は何よりも生きることを願うのに、病気で死んでしまうことだ。
いや、人間は歳を取っても生きたいと願うのに、永遠に生きる人はいない。中国の伝説の長寿者である彭祖(ほうそ)や、ヨガの超人ババジだって、たかだか数百年だ(ババジはまだ生きているという話もあるが)。
また、イエスは、「白い髪の毛1本、黒くすることは出来ない」と言い、若返ることは不可能であると言った。
それで思い出すのは、「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家W.B.イェイツが、彼の詩のどれかの中で「老人の願いは、もう一度若くなって、あの娘を抱くことだ」と書いていたが、これは「老人の」と言うよりは、何よりも、老人になった彼自身の願いだったのだろう。
しかし、それは叶わない。
彼は、どこかでエラい美少女に会った際、「君はこんなに美しく、ここに立っているのに、君を愛せないとは残念だ」などと言ったという話がある。とんだエロジジイであるが、正直者ではあるのだろう。
だが、彼には分別と言うよりは、知性があったので、若い子に血道を上げることはなかった。
ゲーテも同じであったらしく、老人になっても十代の若い娘が大好きで・・・いや、誰でも大好きだろうが、彼の場合は、70歳を過ぎても、本当に十代の娘と結婚しようとしたらしい。ここらは阿呆である。
だが、改めて言うと、これらの偉大なエロ爺さんらの願いは叶わなかった。

そして、人間にとって大きな悲劇は、若い時に願えば叶ったかもしれなかったが、諦めたことだ。
45歳でプロボクシング世界ヘビー級王者に返り咲いたジョージ・フォアマンは「やる気があれば40歳を過ぎても夢を叶えられることを見せたかった」などと言ったが、いやいや、彼は、20代前半で怪物と呼ばれた世界ヘビー級王者だったのであり、異常に強かった彼は、残り少なくはなっていたが若さで偉業を達成したのだ。
25歳で、米国の陸上短距離競技のナショナルチームに入った選手がいたが、もちろん、別のスポーツでスプリント力を磨いていたからであり、素人だったわけではない。だが、彼のことを取り上げ、「歳を取ってもやれるんだ」と言う者が居るので、騙されないようにしないといけない。
若いというのは無条件で良いことだが、最も無駄にし易いものである。

プログラマーを、歳を取ってから始めて成功した例では、直接知っているわけではないが、私が知る限りは、やや昔の話だが、45歳で始めた人がいる。そのおかげで彼は、ある大企業の中で異例の、高卒で次長にまでなり、世間からの注目も集めた。
『実録!天才プログラマー』という本には、50歳まで砂金取りをやっていて、プログラマーになって成功した人の話があったと思う(うろ覚えだが)。
では、何歳までプログラマーになれるかというと、おそらく、頭さえ良ければ、いくつでもなれる。ただ、プログラマーの仕事はハードなので、歳を取っていたら、お金を稼ぐことは難しい。とはいえ、もっと頭が良ければ、新しい稼ぐ方法も考えられるだろう。

いくつになっても叶えられる夢はゴマンとあり、決して「ショボい」ものばかりではない。
とはいえ、それは、やはり若い人のものと違い、もし、30歳もとおに過ぎて、スポーツ選手やミュージシャンなどで華々しくデビューすることを夢見ているなら馬鹿であるが、そんなやつが沢山いるんだ(笑)。
別に、世間で言う年齢相応の夢を持てと言うのではない。しかし、浅はかな夢を持ってはならないのも確かだ。
その夢は、誰も想像しないことでなくてはならない。
スポーツ選手やミュージシャンになるなど、誰でも思いつくことだ。
そんなのは、たとえ成功し、瞬間騒がれても、すぐに枯れてしまうことだ。そんな儚いことは、儚いことが専門の若い人にまかせれば良い。
ミュージシャンだって、若くなくなれば、ほとんどが消えるが、残るのは、予想外なことをやった者達だけだ。そんな者達は、彼らが以前そうだったミュージシャンとは全く違う存在だ。
そして、予想外は無意識からしかこない。
無意識の超専門家ミルトン・エリクソンの本を読んだり、腕振り運動で無意識と親しくなれば、予想を裏切る人になるヒントを得られるだろう。








  
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