『夢で逢えたら』という、これほど多くの歌手にカバーされた曲もないのではと思える(少なくとも86曲)、大瀧詠一さんの楽曲がある。
歌の内容は、女性の立場からのもので、好きな男性と、現実で逢うことと、夢で逢うことの幸福性が同等であると感じさせられるものだと思う。
普通は、好きな人と逢うことも含め、「現実であってこそ楽しい」と考えるものだろうが、この歌では、夢での遭逢(そうほう)の喜びを切々と歌う。
もしかしたら、歌の女性は、その男性に片思いしているだけかもしれないし、ひょっとしたら、男性はもう死んでいるのではないかとも考えられる。
そんな解釈の幅が広いことも、長く、多く、愛唱される理由かもしれない。

インドの聖者ラマナ・マハルシは、夢と現実は全く等価であると言い、宇宙人バシャールは、むしろ、夢の方が本物だと言う。
歴史的な推理作家、江戸川乱歩は、夢こそが真実と言い、色紙にサインする際に、
「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」あるいは「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」(Wikipediaからの引用)
と書き添えたという。

中国の古典『列子』に、こんな話がある。
王様は、毎夜、夢の中で奴隷になるので苦しんでいたが、ある奴隷は、夢の中でいつも王様になるので幸福だと言う。
この2人の、どちらが本当に幸福なのか分からない。
だが、王様が、これまでのように奴隷を厳しく扱うのをやめると、王様は苦しさが減ったという。

『荘子』の中の『胡蝶の夢』はとても有名で、「蝶」と「夢」という、本来、関係のない言葉が自然に結びつくほどだ。
著者の荘子は、ある夜、蝶になって楽しく飛び回る夢を見た。
すると、荘子は、「人間である荘子が、夢の中で蝶になったのか、蝶が今、荘子という人間になった夢を見ているのかは分からない」と述べる。
楽曲『ブレス・ユア・ブレス』(和田たけあき feat.初音ミク)もだが、多くのアート作品に、このお話の引用(あるいは発展させたもの)が見られる。

夢は、心の中の世界と言える。
では、夢の価値は、心の価値とも言えるかもしれない。
アニメ『キャシャーン Sins』(2008)の第7話『高い塔の女』が、そのことを感動的に描いている。
ロボットの女が、高い塔の上に、鐘を作ろうとしていた。
美しい音で鳴り響く鐘を作りたいのだが、材料も道具も全く不十分だった。
そこにキャシャーン(主人公であるロボット。若い男性)がやって来た時、女は、キャシャーンを鐘の材料にしようとする。
キャシャーンは、鐘になっても良いと思ったが、今はまだ、やるべきことがあると女に言い、そこを去る。
最後に、女は、鐘を作る必要がなくなったと言う。
なぜなら、心の中の鐘が美しく鳴り響いているからだ。
それが、私には、戯言に聞こえなかった。

夢とは、そして、心とは神秘的なものである。
そして、夢同様、現実を作り出しているのも心なのである。








  
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