今から2400年ほど前に実在したと言われる中国の賢者、荘子が書いたとされる『荘子』の中に、だいたいでこんな話がある。
荘子が、弓矢を持って狩猟をしていたら、極めて珍しい大きな鳥を発見し、荘子は、是非、これを得ようと追いかけ、大きな鳥が止まると、弓矢を構えた。
ところが、その大きな鳥は、小さな鳥を捕らえようとしていることが分かった。
それで、小さな鳥の方を見たら、小さな鳥はカマキリを捕らえようと狙っている。
さらに、カマキリは小さな虫を狙っているのだった。
そこで、荘子ははっとして、弓矢を構えるのをやめて、その場から逃げ出そうとした。
だが遅く、荘子は役人に捕らえられる。荘子は、うっかり禁漁区に入っていたのだ。
荘子が、なぜ狩をやめて逃げたのかを、改めて言うとこうだ。
小さな虫をカマキリが狙い、カマキリを小さな鳥が狙い、小さな鳥を大きな鳥が狙い、そして、大きな鳥を自分(荘子)が狙っている。
それなら、自分だって誰かに狙われていても不思議はないと荘子は気付いたのだ。
そして、案の定、荘子は捕まった。
「狙う者は狙われる」
それが、宇宙の掟のようなものだ。
だが、この話には、もっと深い意味がある。
荘子は、大きな鳥に夢中になるあまり、禁漁区であることを知らせる立札を見逃したのだ。
そして、大きな鳥も、小さな鳥も、カマキリも、獲物に集中し過ぎて(執着して)、自分の身を危うくしているのだ。
狙っているものに執着し過ぎてはいけないということだ。
ハニートラップという言葉をご存じだろうか?
主に、美人の女スパイが、色仕掛けで男(大きな権限を持っていたり、重要情報を持っている要人)を操るというものだ。
ハニートラップにひっかかった間抜けな男性政治家の話がよくあるが、こんな男性政治家も、スパイと知らずに美人を狙って(狙わされたのだが)、自分が狙われていることに気が付かなかったのだ。
ところが、本来、人間に限らず、動物は、自分が狙われていると察知する能力があり、人間は、その能力が高い。
つまり、人間は何かをしている時でも、猛獣に狙われていることを察知するために、極度に集中せず、注意を分散する。
そんなふうに、人間の脳は出来ている。これは、今の人間も全く変わらない。
だが、逆に考えれば、これは、人間は、集中力がないように作られているということだ。
聖徳太子は、十人の話を同時に聞くことが出来たという話があるが、実際は、どんなに頭が良かろうが、人間は、2人の話を同時に聞けば、1人1人の話を極めていい加減に聞くことになる。
だから、注意を分散するとしても、極めて些細なことだけにしなければならない。
テレビを見ている時に、呼び鈴が鳴ったことに気付けば十分で、それにも気付かないことも多い。
人間の脳の同時並行処理(マルチタスク)能力は極めて低い。
だから、テレビを見ながらとか音楽を聴きながらで仕事や勉強をしても、効率は極めて低下する。
まして、スマホを見ながらでは、能力は驚くほど低下し、それで、大きなミスをし、事故も起こる。
ところが、猛獣の襲撃にもちゃんと備えるよう、人間の脳は、注意散漫になるのが好きなように出来ているから始末が悪い。
だから、スマホなんてものを持つと、いつも見てしまうのは、原始時代の人間としては当たり前だ。
しかし、原始時代の人間だって、軽い注意を周囲に向けていただけだ。
あまりに猛獣を警戒すると、自分の仕事が出来ない。
つまり、猛獣への注意が、メインの仕事になってしまったら、自分のメインの仕事が駄目になる。
スマホも、軽くメールをチェックするというのではなく、SNSやゲームに夢中になると、電車を乗り過ごしたり、スリに財布を盗まれたり、人とぶつかったり、転落したりする。
そして、詳細は省くが、研究によれば、スマホを意識するだけで、能力が10%低下するらしい。
長くなったのでまとめると、人間は、大事なことを、執着せず、淡々とやれば、最大の能力を発揮し、なおかつ、必要な注意が払われる。
また、重要でないものに注意を払い過ぎると、能力を失う。
例えば、eラーニングの画面に先生の顔が出てくるなど愚の骨頂で、そんなeラーニングをやるオンライン講座に入ってはならない。
なぜなら、人間は、人の顔があると、それに大きな注意を引かれてしまうように出来ているからだ。
人目をあまりに気にするのも、能力低下の要因であることが分かる。
大事なことをする時は、スマホを持たないか、せめて電源を切り「電源を切った」としっかり自分に言い聞かせると良い。
腕振り運動をしながら、数を自分で数えると、理想的な頭の使い方が身に付くことが分かるのである。
そして、これも、腕振り運動の効果の、ほんの一部でしかない。
私は、昨日は、腕振り運動を10000回行った。
荘子が、弓矢を持って狩猟をしていたら、極めて珍しい大きな鳥を発見し、荘子は、是非、これを得ようと追いかけ、大きな鳥が止まると、弓矢を構えた。
ところが、その大きな鳥は、小さな鳥を捕らえようとしていることが分かった。
それで、小さな鳥の方を見たら、小さな鳥はカマキリを捕らえようと狙っている。
さらに、カマキリは小さな虫を狙っているのだった。
そこで、荘子ははっとして、弓矢を構えるのをやめて、その場から逃げ出そうとした。
だが遅く、荘子は役人に捕らえられる。荘子は、うっかり禁漁区に入っていたのだ。
荘子が、なぜ狩をやめて逃げたのかを、改めて言うとこうだ。
小さな虫をカマキリが狙い、カマキリを小さな鳥が狙い、小さな鳥を大きな鳥が狙い、そして、大きな鳥を自分(荘子)が狙っている。
それなら、自分だって誰かに狙われていても不思議はないと荘子は気付いたのだ。
そして、案の定、荘子は捕まった。
「狙う者は狙われる」
それが、宇宙の掟のようなものだ。
だが、この話には、もっと深い意味がある。
荘子は、大きな鳥に夢中になるあまり、禁漁区であることを知らせる立札を見逃したのだ。
そして、大きな鳥も、小さな鳥も、カマキリも、獲物に集中し過ぎて(執着して)、自分の身を危うくしているのだ。
狙っているものに執着し過ぎてはいけないということだ。
ハニートラップという言葉をご存じだろうか?
主に、美人の女スパイが、色仕掛けで男(大きな権限を持っていたり、重要情報を持っている要人)を操るというものだ。
ハニートラップにひっかかった間抜けな男性政治家の話がよくあるが、こんな男性政治家も、スパイと知らずに美人を狙って(狙わされたのだが)、自分が狙われていることに気が付かなかったのだ。
ところが、本来、人間に限らず、動物は、自分が狙われていると察知する能力があり、人間は、その能力が高い。
つまり、人間は何かをしている時でも、猛獣に狙われていることを察知するために、極度に集中せず、注意を分散する。
そんなふうに、人間の脳は出来ている。これは、今の人間も全く変わらない。
だが、逆に考えれば、これは、人間は、集中力がないように作られているということだ。
聖徳太子は、十人の話を同時に聞くことが出来たという話があるが、実際は、どんなに頭が良かろうが、人間は、2人の話を同時に聞けば、1人1人の話を極めていい加減に聞くことになる。
だから、注意を分散するとしても、極めて些細なことだけにしなければならない。
テレビを見ている時に、呼び鈴が鳴ったことに気付けば十分で、それにも気付かないことも多い。
人間の脳の同時並行処理(マルチタスク)能力は極めて低い。
だから、テレビを見ながらとか音楽を聴きながらで仕事や勉強をしても、効率は極めて低下する。
まして、スマホを見ながらでは、能力は驚くほど低下し、それで、大きなミスをし、事故も起こる。
ところが、猛獣の襲撃にもちゃんと備えるよう、人間の脳は、注意散漫になるのが好きなように出来ているから始末が悪い。
だから、スマホなんてものを持つと、いつも見てしまうのは、原始時代の人間としては当たり前だ。
しかし、原始時代の人間だって、軽い注意を周囲に向けていただけだ。
あまりに猛獣を警戒すると、自分の仕事が出来ない。
つまり、猛獣への注意が、メインの仕事になってしまったら、自分のメインの仕事が駄目になる。
スマホも、軽くメールをチェックするというのではなく、SNSやゲームに夢中になると、電車を乗り過ごしたり、スリに財布を盗まれたり、人とぶつかったり、転落したりする。
そして、詳細は省くが、研究によれば、スマホを意識するだけで、能力が10%低下するらしい。
長くなったのでまとめると、人間は、大事なことを、執着せず、淡々とやれば、最大の能力を発揮し、なおかつ、必要な注意が払われる。
また、重要でないものに注意を払い過ぎると、能力を失う。
例えば、eラーニングの画面に先生の顔が出てくるなど愚の骨頂で、そんなeラーニングをやるオンライン講座に入ってはならない。
なぜなら、人間は、人の顔があると、それに大きな注意を引かれてしまうように出来ているからだ。
人目をあまりに気にするのも、能力低下の要因であることが分かる。
大事なことをする時は、スマホを持たないか、せめて電源を切り「電源を切った」としっかり自分に言い聞かせると良い。
腕振り運動をしながら、数を自分で数えると、理想的な頭の使い方が身に付くことが分かるのである。
そして、これも、腕振り運動の効果の、ほんの一部でしかない。
私は、昨日は、腕振り運動を10000回行った。
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