私は、先月(2022年1月)25日から本格的な腕振り運動を行っているが、個人的に感じたのは、腕振り運動が、坐禅、静坐、念仏、真言行、瞑想といった霊的修行と等しいものであり、そして、腕振り運動に明らかな優位性があることだ。
私は、この本格的な腕振り運動を昨日までで12日間行い、1日平均回数6267回、この5日間の1日平均回数は7720回となっている。
7000回行うには、2時間強かかる。
2時間は、坐禅などの行でも、一般の人がやるには長い時間であるが、本格的な修行者ならもっと長い場合も多いし、一晩中坐禅というのもあると思う。
ところが、腕振り運動以外は全て座ってやることが問題であると私は思う。
座って長時間の行をすることのデメリットとして、以下のことが考えられる。
(尚、現代では正座スタイルで静坐をする人は少ないので、正座の欠点は除く。)
(1)背筋を伸ばした姿勢を保つことが難しい。
(2)腰痛や背痛、肩凝りになる恐れがある。
(3)眠ってしまう恐れがある。
(4)他所事を考える恐れがある。
(5)血行が悪くなる。
これらはとにかく「動かない」ことの欠点である。
だが、腕振り運動であれば、これらの1つ1つに対して考えると、こうなる。
(1)背筋を伸ばした姿勢を簡単に保てる。
(2)腰痛や背痛、肩凝りをむしろ緩和し治す。
(3)絶対眠らない(やりながら眠れたらむしろ大したもの)。
(4)数を数えるので、他所事をあまり考えない。
(5)血行が良くなる。

このように、腕振り運動のメリットは明らかだ。
そもそも、腕振り運動は運動としても優れたもので、単に腕や肩の運動ではなく、動きながら姿勢を保つために、腹筋、背筋、それに、脚の筋肉、さらに、重要な足の親指が鍛えられる。足の親指は武道や武術では極めて重視されるが、実際は、スポーツ全般で重要である。
このような運動効果が精神効果と結びつき、効果を上げるのである。
ついでに言うと、腕振り運動では、立っているだけで、想像以上に足腰が鍛えられる。
イギリス特殊部隊の教官にも、家の中でなるべく座らず立っているだけで、良いトレーニングになるのだと言った人がいたが、腕振り運動は、ただ立っているよりはるかに良いのである。

そもそも、心身は一体のものであるのに、他の行は身体を軽視し過ぎではあるまいか?
背筋を伸ばした正しい姿勢を取るとしても、座ってやる行は、無理矢理、不自然に正しい姿勢を取っているのではないか?
なら、それで、修行自体がストレスになり、心も身体も損なう危険が高いのではないか?
坐禅や念仏などを、喜び勇んでやる者はいないように思う(親鸞ですらそう言っている)。
だが、腕振り運動であれば、気持ちが良いので、むしろ、やらないと気分が悪くなるくらいである。

精神的効果ですら、腕振り運動にアドバンテージがあると私は考える。
腕を振りながら数を数えることで、精神に一定のリズムが自然に起こる。この一定の自然のリズムこそが、あらゆる修行の目的ではないのか?
そして、腕振り運動の周期、つまり、リズムが、身体にとっても心にとっても、最適かどうかはともかく、非常に良いと思う。
真言や念仏、ナーマスマラナ(神仏の名を唱える行)でも、一定のリズムが得られるが、心だけでそれをするのは難しいと私は思う。

坐禅では公案を考えながらやる場合もあると思うが、公案は、よほど良い先生に指導されないと成果が出ないばかりか、弊害がある場合も多いと私は思う。
そして、公案の良い先生など、なかなかいないと思うし、良い先生がいたとしても、十分な指導を得るのは難しいと思う。
また、念仏、真言、ナーマスマラナ等では、神仏への信仰が必要であるが、腕振り運動ではそういったものは要求されない。

座ってやる行というのは、古い時代に、座ってやらざるを得なかったという、消極的な理由があったのではないかと思う。
腕振り運動も場所は取らないが、そんな場所すらない場合が多かったのではないか。
それに、じっと座っている方が見栄えが良い。
また、現実問題として、立って動くとなると、お腹が空くので、食料事情が悪ければ、じっとしてやる行が良い。

だが、信仰心があったり、じっと座ってやる行が向いているという人もいるかもしれない。
結局、自分が好きなものをやれば良いのである。
ただ、大方の人は、座ってやる行は、まず、長続きしないと思う。
それなら、メリットが多く、ほとんどデメリットのない腕振り運動を行うことをお勧めする次第である。

私の昨日の腕振り運動の回数は9000回であった。








  
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