日本には、敬老精神や、年長者を敬う精神文化がある・・・と言ったら、嫌な顔をする人もいると思う。
政治でも経済でも、老害がのさばっていることの弊害が大きいからだ。
年長者を敬う精神文化について、身近で目にする機会がありそうなこととしては、次のようなものがある。
ある会社の1つの部署に若い社員が入社し、そこにいた、その新入社員よりずっと年長の社員(オッサン)は、この若い後輩に仕事を教えもするのだが、顎で使ったり、理不尽に怒鳴ることも確かにあった。
ところが、この若い後輩が優秀で、するすると出世し、オッサンがさっぱり昇進しないのに対し、役員にまでなってしまった。
ところが、この役員になった後輩は、オッサンがいる部署に来る度に、オッサンに挨拶し、ペコペコしていた。オッサンの方も、今や役員様になった後輩の前でふんぞり返って、しかし、柔らかい笑顔で「頑張ってるか?」などと言っている。
今でも、オッサンは、この後輩を呼び捨てにし、後輩はオッサンを「さん」付けで呼んでいる。
いろいろ反論はあろうが、この後輩は本当に賢いのである。言い換えれば、本当に賢い人とは、このようなものだ。
逆に、こんな例もザラに見るかもしれない。
入社当時は、先輩のオッサン社員に遜(へりくだ)った態度を取っていたが、この後輩が有能なのか世渡りが上手いのかは分からないが、自分の方が上の地位になると、オッサンに対し、表面上は敬語を使うなど礼儀を守っているが、侮蔑の言葉や態度を隠さなくなる。
これに対しても、「社会では実力がモノを言うので、それで当然、もしくは、仕方がない」と言う人が増えてきていると思う。
しかし、この後輩は馬鹿なのである。どういう原理かは分からないが、こんな後輩がロクでもないことになるのは、時を待つまでもなく分かるのである。
そりゃ確かに、先輩や年長者を立てる後輩や若年者が、本当に敬ってそうしているのかどうかは分からない。
しかし、軽蔑の念を持っていれば、それがどうしても外に現れるものである。
ひょっとしたら、立派な後輩は、先輩や年長者に対し、軽蔑はもちろんだが、敬意も持っていないかもしれない。
だが、その立派な後輩は、あることに従っているのである。
それに従っているから賢く、危うさがない。
それとは「魂の声」だ。
「魂の声」は、いつも、先輩や年長者を立てろと言うのだ。
「魂の声」は、敬えとは言わないかもしれない。「魂の声」は、その者に出来もしないことは言わないからだ。
しかし、「軽んじるな」とは言うのである。これは、誰だって必ず出来るからだ。
そして、馬鹿な後輩にだって魂はあるので、「魂の声」は、馬鹿な後輩にも同じことを言っているはずなのだ。
しかし、愚かな人間は「魂の声」を聴こうとしない。
「魂の声」を聴く者は必ず幸福になるが、「魂の声」を軽んじる者は必ず破滅する。
釈迦も、敬老精神がある国は、発展するのみで滅びないと言ったのである。
また、釈迦は、女性を敬う国も同様であると述べている。
ちなみに、敬われるようになる方法は、ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』に簡単なものが書かれている。
政治でも経済でも、老害がのさばっていることの弊害が大きいからだ。
年長者を敬う精神文化について、身近で目にする機会がありそうなこととしては、次のようなものがある。
ある会社の1つの部署に若い社員が入社し、そこにいた、その新入社員よりずっと年長の社員(オッサン)は、この若い後輩に仕事を教えもするのだが、顎で使ったり、理不尽に怒鳴ることも確かにあった。
ところが、この若い後輩が優秀で、するすると出世し、オッサンがさっぱり昇進しないのに対し、役員にまでなってしまった。
ところが、この役員になった後輩は、オッサンがいる部署に来る度に、オッサンに挨拶し、ペコペコしていた。オッサンの方も、今や役員様になった後輩の前でふんぞり返って、しかし、柔らかい笑顔で「頑張ってるか?」などと言っている。
今でも、オッサンは、この後輩を呼び捨てにし、後輩はオッサンを「さん」付けで呼んでいる。
いろいろ反論はあろうが、この後輩は本当に賢いのである。言い換えれば、本当に賢い人とは、このようなものだ。
逆に、こんな例もザラに見るかもしれない。
入社当時は、先輩のオッサン社員に遜(へりくだ)った態度を取っていたが、この後輩が有能なのか世渡りが上手いのかは分からないが、自分の方が上の地位になると、オッサンに対し、表面上は敬語を使うなど礼儀を守っているが、侮蔑の言葉や態度を隠さなくなる。
これに対しても、「社会では実力がモノを言うので、それで当然、もしくは、仕方がない」と言う人が増えてきていると思う。
しかし、この後輩は馬鹿なのである。どういう原理かは分からないが、こんな後輩がロクでもないことになるのは、時を待つまでもなく分かるのである。
そりゃ確かに、先輩や年長者を立てる後輩や若年者が、本当に敬ってそうしているのかどうかは分からない。
しかし、軽蔑の念を持っていれば、それがどうしても外に現れるものである。
ひょっとしたら、立派な後輩は、先輩や年長者に対し、軽蔑はもちろんだが、敬意も持っていないかもしれない。
だが、その立派な後輩は、あることに従っているのである。
それに従っているから賢く、危うさがない。
それとは「魂の声」だ。
「魂の声」は、いつも、先輩や年長者を立てろと言うのだ。
「魂の声」は、敬えとは言わないかもしれない。「魂の声」は、その者に出来もしないことは言わないからだ。
しかし、「軽んじるな」とは言うのである。これは、誰だって必ず出来るからだ。
そして、馬鹿な後輩にだって魂はあるので、「魂の声」は、馬鹿な後輩にも同じことを言っているはずなのだ。
しかし、愚かな人間は「魂の声」を聴こうとしない。
「魂の声」を聴く者は必ず幸福になるが、「魂の声」を軽んじる者は必ず破滅する。
釈迦も、敬老精神がある国は、発展するのみで滅びないと言ったのである。
また、釈迦は、女性を敬う国も同様であると述べている。
ちなみに、敬われるようになる方法は、ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』に簡単なものが書かれている。
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