人間は「これさえやっていれば(これさえあれば)絶対大丈夫」というものが欲しいのだ。
王様や大統領などの支配者は、それを国民に与える義務がある。
だが、多くの支配者たちは、そうしないし、する気がないことを露骨に見せたので宗教が人気が出た。つまり、教祖、あるいは、その宗教の教義に従っていれば絶対大丈夫と思わせて信者を集めるのである。
良くも悪くも、それに最も成功したのがイエス・キリストだった。
当時の支配者だって、国民に「我々に従っていれば絶対大丈夫だ」と言ってはいたが、なかなかそうはいかず、暴力の支配も併用した。そして、暴力で従わせる度合いがどんどん大きくなっていった。
そこにイエス・キリストが現れ、「神に従っていれば絶対大丈夫」と言ったのだが、イエスは話が上手いというより、説明が天才的に上手かったので、多くの民衆が彼に従った。それで、支配者は彼を殺すしかなかったのである。

ところが、2005年に、アップル共同創業者スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチでは、イエスの教えの真意を言ったか、ある意味、更新したのだと思う。
ジョブズは、イエスの教えも、どんな教えも否定していない。
簡単に言えば、イエスとジョブズの言うことはこうだ。
イエスは、「神の教えを行えば、生活が良くなり、天国に行ける」と教えた。
ジョブズは、「何をやってもいい。それをやるとハッピーになると信じろ」と言ったのだ。
だが、ジョブズは、「言い方の大切さ」も十分知っていたので、今やっていることとを「今のドット(点)」と表現し、将来のハッピーを「未来のドット(点)」と言った。そして、その2つがつながると信じろ・・・と言うか「信じるしかない」と言ったのだ。
「信じるしかない」とは頼りないなんて思わない方が良い。
神の力(あるいは宇宙を運行させている力)は偉大過ぎて理解不能だから、理解して信じるということが不可能なのだ。

それ(今やっていることが未来の何かにつながる)を具体的に分かり易く表現したのが、映画『フォレスト・ガンプ』だ。
フォレストは、いじめっ子達から走って逃げ続けた。
走って走って走った。
それが将来、何かの役に立つなんて、フォレストは全く考えなかった。フォレストのような馬鹿でなくても考えない。
だが、そのおかげで、フォレストはフットボール選手として大学に入れ(彼は試験では絶対入れない)、講義など全く受けずに修士号まで取ってしまった。
いじめっ子達のおかげということもあるが、何より、フォレストに「逃げて!」と言った、彼のガールフレンドのジェニーのおかげだ。
ジェニーの一言が、絶望的に思えたフォレストの未来を華々しいものに変えたのだ。

そうだ。ただ走って逃げるだけでも良いのである。
あなたは、それよりマシなことをやっているはずだ。
やっていなければ始めれば良い。
それが、将来の何につながるかは分からないが、何かにつながると信じるしかない。
そして、今やっていることが、どんな未来に結び付くかは、分からないから良いのである。
「良い大学に入れば、給料が高くて一生安泰な会社に入れる」
なんて下らないことを考えず、やりたいことをやることだ。
もちろん、勉強自体が楽しければ、大いにやると良い。すると、それが思いもしなかったことに結び付くのである・・・多分(笑)。

いつもの報告だが、昨日の腕振り運動の回数は6400回だった。
これが何に結び付くかは分からないがね(笑)。
まあ、ある意味、どうでも良いことである。








  
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