人間は誰でも、どんな願いでも叶えることが出来る力を持っている。
そして、本来、その力の使い方を教わる必要はない。
誰でも、すぐに使えるのだ。

ではなぜ、願いを叶えることが出来ないのかというと、1つには、出来ないと思い込まされているからだ。
そりゃ、権力側としては、奴隷が自分に奴隷以上のことが出来る能力があると知ったら、奴隷状態にしておけないので当然だ。
だが、昔はともかく、今は権力側も、世界を創造する方法を忘れているので、支配の仕方が力づくで乱暴になっている。
そもそも、リーダーとは言えない権力者に世界を創造する力はないのである。

願いを叶えるなんて簡単なことで、ただ、当たり前にやれば良い。
敢えて言えば、自分が願いを叶える力を持っていることを忘れてしまった大衆に、イエスが言ったことを覚えておくと良い。
それは、「願いは叶ったと思えば叶う」である。
難しい解釈など、一切不要だ。
あくまで、当たり前にやれば良いのだ。
だが、当たり前に出来ない人を騙せばお金が儲かるので、そんなことをする人が沢山いるが、騙す者も、願いの叶え方を知らないのである。知ってたら、騙す必要なんてないからね。

「当たり前にやるとはどういうことか?」と聞かれる時代になった。
どういうことかというと、こういうことだ。
男性の場合で恐縮だが、混んだ電車で、可愛い女の子が密着してきて、自分の手のすぐ近くに、その女の子のお尻がある。
触りたいと思っても触らない理由はと尋ねると、
「捕まるから」
という、信じ難い答をする人が多くなった。
ほんの少しマシな答が、
「私は紳士だから」「私は立派な人間だから」
である。
実際、JRのポスターで、痴漢行為について、「それ、犯罪です」と書き、だから痴漢をするなと訴えるのは、「捕まるから触らない」と言うのと同じだ。
まあ、JRが堕落しているのではなく、堕落した大衆のために作ったポスターかもしれないが。

「女の子が苦しむから」というのは、大人の解答で大変よろしい。
いくら何でも、中学生になれば、その程度の認識はあるはずだ。
だが、そんなことを考えるまでもなく、触りたいと思っても、魂が「だめだ」って言うだろう。
魂の声を聴くことが、当たり前にやるってことだ。
魂って、当たり前のことしか言わないのだから。








  
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