私が好きな宗教人類学者の植島啓司氏のWebサイト「宗教学講義 Cours des Religions」の中の、
2012 週刊文春 3/22号:「世界の全ての記憶」 植島啓司 14
は、植島氏が、初音ミクさんのことと共に、非常に重要なことを語っている。
植島氏も引用しているクライブ・ブロムホール著の『幼児化するヒト』を再引用すると、
ゲイであることを公表しているポップスターのジョージ・マイケルは、自分の持つ特殊な才能について聞かれたときに、こう答えた。「君にはわからないよ。スーパースターをつくる何か特別なものがあるわけじゃない。むしろ、何かが失われているんだ。」(クライブ・ブロムホール『幼児化するヒト』)
というが、ジョージ・マイケルのようなスーパースターに限らず、天才というものは、「何かが欠けている」、つまり、「普通の人が持っているものを持っていない」人間であるということは、よく言われる。
私がぼんやり覚えている例で言えば、こんなものがある。
ある7歳の少女が、レオナルド・ダ・ヴィンチを思わせるような精密な馬のデッサン・・・筋肉や骨格も正確に描くという天才的な絵の才能を示した。
けれども、彼女は言語中枢の発達が遅れており、同じ歳の他の子供に比べ、話す能力はかなり劣っていたようだ。
ところが、やがて、彼女の言語中枢が発達し、うまく話すことが出来るようになったら、素晴らしい絵を描く能力がなくなってしまった。
つまり、会話能力が欠けていることで、その補償であるかのように、絵画能力が異常発達したと考えられるのである。
アメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』で、主人公で10歳くらいの少女ローラが、同じ歳くらいの、生まれつき脚に障害のある少女オルガと仲良くなったが、オルガがその脚の障害のために辛い思いをするのに同情し、ローラも悲しく思っていた。
すると、ローラの父親のチャールズは、
「何かに欠けている人は、その分、別のことで優れているところがあるものだ」
と言ってローラを慰めるが、それはただの慰めではなく、真実である場合も多いということだろう。
ただ、1つ注意すべきは、欠陥、即、能力ではなく、ジョージ・マイケルが言ったことから推測されるのは、「何かが失われていることが、スーパースターをつくる」ということだ。
つまり、欠陥があることによって、それを補うために、別の能力が発達してくるということだ。
そして、これは、身体的障害だけではなく、貧困であるとか、容姿が醜いとか、その他のことで恵まれないといった外部の問題も含むのだ。
そういえば、TEDでも「不都合がある方が、良い成果を出せる可能性がある」というテーマで講演した人もいた。
その講演で話されていたが、ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが、「不眠と疲労」「腰痛」「壊れた小さ過ぎるピアノ」といった最悪の条件の中で即興のソロ演奏をした『ザ・ケルン・コンサート』が、400万枚以上のセールスを記録し、「最も売れたジャズのソロ・アルバム、最も売れたピアノ・ソロ・アルバム」と言われている。
だから、天才になりたければ、あるいは、超人的な成果を上げたければ、不利な条件を喜ぶことだ。
「苦難よ来たれ」と宣言し、条件が良過ぎれば、むしろ引く位の心構えがあっても良いかもしれない。
ちなみに、上の植島啓司氏の記事で、初音ミクさんに欠けているものは「成熟」であると、植島氏は指摘しておられた。
これも、なかなか深い洞察であると思う。
ところで、上に出て来た、クライブ・ブロムホールの『幼児化するヒト』によれば、「ロリコン」「負け犬」「同性愛」は、必然だったということになるかもしれない。
2012 週刊文春 3/22号:「世界の全ての記憶」 植島啓司 14
は、植島氏が、初音ミクさんのことと共に、非常に重要なことを語っている。
植島氏も引用しているクライブ・ブロムホール著の『幼児化するヒト』を再引用すると、
ゲイであることを公表しているポップスターのジョージ・マイケルは、自分の持つ特殊な才能について聞かれたときに、こう答えた。「君にはわからないよ。スーパースターをつくる何か特別なものがあるわけじゃない。むしろ、何かが失われているんだ。」(クライブ・ブロムホール『幼児化するヒト』)
というが、ジョージ・マイケルのようなスーパースターに限らず、天才というものは、「何かが欠けている」、つまり、「普通の人が持っているものを持っていない」人間であるということは、よく言われる。
私がぼんやり覚えている例で言えば、こんなものがある。
ある7歳の少女が、レオナルド・ダ・ヴィンチを思わせるような精密な馬のデッサン・・・筋肉や骨格も正確に描くという天才的な絵の才能を示した。
けれども、彼女は言語中枢の発達が遅れており、同じ歳の他の子供に比べ、話す能力はかなり劣っていたようだ。
ところが、やがて、彼女の言語中枢が発達し、うまく話すことが出来るようになったら、素晴らしい絵を描く能力がなくなってしまった。
つまり、会話能力が欠けていることで、その補償であるかのように、絵画能力が異常発達したと考えられるのである。
アメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』で、主人公で10歳くらいの少女ローラが、同じ歳くらいの、生まれつき脚に障害のある少女オルガと仲良くなったが、オルガがその脚の障害のために辛い思いをするのに同情し、ローラも悲しく思っていた。
すると、ローラの父親のチャールズは、
「何かに欠けている人は、その分、別のことで優れているところがあるものだ」
と言ってローラを慰めるが、それはただの慰めではなく、真実である場合も多いということだろう。
ただ、1つ注意すべきは、欠陥、即、能力ではなく、ジョージ・マイケルが言ったことから推測されるのは、「何かが失われていることが、スーパースターをつくる」ということだ。
つまり、欠陥があることによって、それを補うために、別の能力が発達してくるということだ。
そして、これは、身体的障害だけではなく、貧困であるとか、容姿が醜いとか、その他のことで恵まれないといった外部の問題も含むのだ。
そういえば、TEDでも「不都合がある方が、良い成果を出せる可能性がある」というテーマで講演した人もいた。
その講演で話されていたが、ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが、「不眠と疲労」「腰痛」「壊れた小さ過ぎるピアノ」といった最悪の条件の中で即興のソロ演奏をした『ザ・ケルン・コンサート』が、400万枚以上のセールスを記録し、「最も売れたジャズのソロ・アルバム、最も売れたピアノ・ソロ・アルバム」と言われている。
だから、天才になりたければ、あるいは、超人的な成果を上げたければ、不利な条件を喜ぶことだ。
「苦難よ来たれ」と宣言し、条件が良過ぎれば、むしろ引く位の心構えがあっても良いかもしれない。
ちなみに、上の植島啓司氏の記事で、初音ミクさんに欠けているものは「成熟」であると、植島氏は指摘しておられた。
これも、なかなか深い洞察であると思う。
ところで、上に出て来た、クライブ・ブロムホールの『幼児化するヒト』によれば、「ロリコン」「負け犬」「同性愛」は、必然だったということになるかもしれない。
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