人間性が成功の決め手だということを書いたのが、ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則』や、サミュエル・スマイルズの『自助論』で、彼らの主張は全く正しいのだが、これらの本は、ハードルが高過ぎると言うか、「気取り過ぎ」なのだと思う。
こんな高邁な理想論を見ると、確かに一時的な情動で心地良い感激を覚えるが、人間って、そんなに立派なものではない。
新渡戸稲造の『武士道』も、書いた本人は、人間精神の高潔さの部分を示して、さぞや悦に入っていたことだろうが、日常とかけ離れた神秘的なものと受け取られてしまった・・・つまり、地に足がついておらず、現実的でない。
幕末の政治家、勝海舟の時代は、外国語の和訳辞書は超貴重で超高価であったが、貧しいが学問への志に燃える勝海舟は、オランダ語ー日本語辞書を所有する学者からなんとか借り受けて、それを書き写したという話がある。勝海舟は既に結婚もしていたが、1日中、それをやって働きもしないので、生活も苦しいのに、少しでもお金があると紙を買ってしまう。
それを見た年長者が、勝海舟に「学問より今日のおまんま(食事)が大事でしょう?」とたしなめるが、勝海舟は耳を貸さず、妻が苦労を背負う。
勝海舟は、高貴な理想を持つ立派な人間のように言われるが、そんな性質が治らなかったのだとしたら、美化されて伝わっているだけかもしれない。そんな歴史上の人物は沢山いる。

よく、「自己啓発書は何の役にも立ちません」から、さらに、「自己啓発書に手を出してはいけません」とまで言う人が沢山いると思う。
しかし、実際は、成功者で自己啓発書を読んでない人はいない。
つまり、読み手の基本的な人間性の問題なのだ。
自己啓発書の中でも、スピリチュアルとかスピ本と言われる類の本を読んで成功した人だって沢山いる。
しかし、私も、直接会った人に、これも一種のスピ本と言われるジョセフ・マーフィーの本を読むよう勧めたこともあるが、「こいつは、読んでも絶対駄目だろうな」と思うことも多く、ある時期からは、相手によっては、マーフィーなどの本を初めからは勧めず、まず、ディール・カーネギーあたりを推薦するが、それも駄目だったことが多かったと思う。
ジョセフ・マーフィーの潜在意識の活用による成功法則の本は、人間の誰もが持つ潜在意識の無限の力を引き出して、思う通りに現実を創るという、人によっては「スピ本」と馬鹿にする本だろうが、確かに、人間性の低い者にとっては、そう言われても仕方がない、有害な本になることもあると思う。
しかし、マーフィーを読んで成功した立派な人物はいくらでもいるし、私も、ある成功した事業家の本棚にマーフィーの本があるのを見たこともある。

原語ではどう言ったのかは知らないが、ゲーテも「人格が全て」と言ったが、我々は人格と言ったら、ピカピカの作り物の人格のイメージを持ち、それは単に「ご立派な」もので、我々凡人には無縁のものか、あるいは、自分はそれ(人格)を「あいつよりは」あるいは「卑しい連中よりは」持っていると思ったりしている。そう思う時点で、その「人格」はハリボテだ。
また、人格ではなく「品性」という言い方をする者もいるが、品性の重要性を上から目線で訴える品性のない人間もテレビでよく見るかもしれない。
ここらは、家庭や学校やテレビなどのメディアが腐っていて、我々がおかしくなってしまっており、大切なものが見えない・・・いや、本当に大切なものは見えないらしいので、見えない大切なものを感じることが出来なくなっているのだろう。

昔、ある有名人の小学4年生くらいの可愛い娘が、その有名な親から、「美しい花を見た時には、美しいと思う心を大切にする」よう教えられたと言っていたのを覚えている。
なるほど、では、多くの人々は、美しくもないもの、素晴らしくもないものを、美しい、素晴らしいと感じるよう洗脳されているのだろう。
洗脳の仕方とは、何かを見せて、それを美しい、素晴らしいと感じるよう強制することで、もうずっと前から、日本人に対しても行われていることである。
たとえきれいな花があっても、それを見ている子供に対し、「きれいねえ!」とやたらと言うのは馬鹿な大人のやることだ。
どう感じようが、子供の勝手だ。
岡田斗司夫さんの昔の本(『東大オタク学講座』だったと思う)で、「我々は夕陽を見て美しいと思うかもしれないが、夜行性の野獣がいるジャングルの人々にとっては、そんな野獣が目覚める恐怖のサイン」と書かれていたと思うが、花を見て美しいと思わない人にも、それなりの理由がある。ちなみに、私は赤いバラは理由があって美しいと思わない。
ところが、岡田さんのその話をしたら、「夕陽が美しいと思わないなんて可哀そうな人ですね」と非難する人がいた。思考力を根こそぎ奪われているような人だったが、それが人の親だったのだから恐ろしい。

まあ、大昔から、「今の若者は」という蔑みの言葉がよく使われたように、きっと昔から、「俺たちの国は、いつからこんなふうになっちまったんだろう」と嘆く者も多かったのだろう。
ところが、今は、「いつ、誰によって、どのようにして、この国がこうなった」が見えるようになってしまい、それを知れば、本当に今が末期であることが分かってしまう。
ソドムとゴモラのようになりはしないとは思うが、テレビ、新聞、学校チームは、ちょっと厳しいことになるだろう。








  
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