天は人の上に人を作らずと言うが、現実的には、人間の能力には差があり、その中でも重要な頭の良さにも明確な差がある。
これもまた、現実の話として、公立の中学では、頭の良さが極端に違う者同士が、同じ教室、あるいは、隣の席にいたりする。
ただ、中学校では、頭が特に良い者にとっても、頭が悪い者が邪魔になることはあまりなく、その頭の良い者がよほど性格の悪い人間でない限り、頭が悪くて何ごとも上手く出来なくて困っている者がいたら、助けることが多いと思う。
高校や大学以上では、それほど極端に頭の良さに差がある者と関わることは少ないと思う。
だが、社会人になると、超大企業の場合は少ないかもしれないが、頭の良さがかなり異なる者が、同じ部署、あるいは、他の部署や取引先の関わり合う人間にいたりする。
そして、頭の良い者にとっては、頭の悪い者に足を引っ張られたりするうちに、頭が悪い者に嫌悪感を持つようになることがある。
ここらが、頭が悪い者がいても、利害関係があまりない中学の時と違うところだ。

自分のことは、とりあえず棚に上げるが、会社の中で、「こいつ本当に馬鹿だな」と思った人は確かに少なからずいる。
ただ、その者が本質的に・・・つまり、生まれつき頭が悪いのかというと、そんな場合もあるのかもしれないが、あまり多くないと思うのだ。
その理由は、「こいつ、頭が悪いな」とうんざりさせられるような者でも、何かの時に、妙に鋭かったり、物覚えが良かったりということがあって「あれっ」と驚くことがよくあったからだ。
「こいつ馬鹿だと思っていたけど、実は頭悪くないんじゃね?」
とか思うが、それでも、仕事で関わると、「アホにもほどがある」と思うのである。
だが、やはり、馬鹿に見えても、ほとんどの者は、本質ではかなり優秀なのだ。
それなのに、なぜ馬鹿なのかというと、家庭や学校で、頭を使えないように、あるいは、間違った頭の使い方をするように教育されているからとしか思えない。

有名な映画監督だった伊丹十三氏が、心理学者の岸田秀氏の本を読んだ時のこんな感想を語っていた。
「自分が、かぶせられた帽子を外されたカブトムシのように感じた」
つまり、自分の能力を封印していたものから解放されたということである。
まあ、誰もが、岸田氏の本を読んだらそうなるとは限らないが、我々は、学校やテレビなどで付けられた、能力の見えない手枷足枷を壊さなければならないことは確かだ。

その方法をクドクド説明せず、シンプルに言う。
1つは、仏・菩薩の真言を淡々となるべく多く唱える。例えば、観世音菩薩真言なら「オン、アロリキャ、ソワカ」だ。これを唱えると良い。有声、無声どちらでも良いが、無声をお勧めする。
1つは、少し温度が高い蒸しタオル(熱いと感じるほど温度が高くてもいけない。適度に絞った濡れタオルを1/6程度にたたみ、電子レンジで600W1分30秒加熱する)を、後頭部の下の方に5分当てる。
そして、プログラミングをやったことがなければ、Excel VBAか、Access VBAを練習して欲しい。マスターするごとに頭が良くなるから。
そうすれば、さらに良いことに、社員募集面接で「Exce VBA、滅茶苦茶出来ます」「Access VBA、滅茶苦茶出来ます」と言ったら、良い条件で採用されるだろう。頭が良くなっているので、仕事も出来るはずである。
尚、一応言っておくと、頭が良過ぎると、普通の職場では仕事がうまくいかず、辛いことになる可能性があるので、自分がそうだと思ったら、就職せず、個人事業をやることだ。








  
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