願いが叶う祈りには2つあり、1つは、とにかく長時間祈ることで、もう1つは、無になって祈ることだが、この場合は、一瞬で叶う。
しかし、実は、この2つは同じで、長時間祈っている人は、99.9%の時間は、祈りが叶わない状態なのだが、たまたま0.1%、つまり、一瞬だけ、祈りが叶う状態になる。その、祈りが叶う状態というのが、他でもない、無になっていることだ。
だから、無になる方法が分かれば、祈りはすぐに叶う。
だけど、それが難しい。
子供がよく、簡単に願いを叶えることがあるが、実際は、そんなことは滅多にあることではない。
その原理は、願いが強いのに邪心がないので、願いの力で無になってしまうということだ。
大人の場合は、どうしても邪心があったり、感情が強いので、なかなか無になれない。
子供の場合は、邪心もだが、感情が案外弱いのだ。

病気の子供が治るように祈る母親や、逆に、病気の親が元気になるようにと祈る清らかな乙女であれば、いずれも邪心はないかもしれないが、やはり、感情が強過ぎるのだ。
感情の正体はエゴだ。
つまり、どれほど清らかに見える祈りだって、エゴである場合がほとんどだ。上で述べた、親の病気の回復を願う清浄な乙女といったところで、その願いは、やはりエゴなのである。

稲盛和夫氏は、決断の際、「私心ありかなきか」と考え、私心がないと分かったらやると言うが、私心がないということはエゴがないということで、エゴがなければ無であるから、その決断によって期待されることは実現する。つまり、願いは叶う。
しかし、エゴとか私心がないはずがないじゃないか(笑)。
たとえ稲盛氏には出来ても、普通の人には無理である。

他にも、酒で酔っぱらっている時とか、麻薬でハイになっている時とか、無になる状況についていろいろ考えたが、いずれも、有効な場合がほんの少しあるだけのことで、そのほんの少しの有効性がクローズアップされて、多くの人が、酒や麻薬で大失敗をした(笑)。
芸術家の多く(アメリカでは極めて多い)が、マリファナやLSDといった(日本以外では合法である国も多い)麻薬を勧めるが、実際は、ほとんどの場合は、メリットよりデメリットが多いのである。
そりゃ、麻薬で、自我(エゴ)を圧倒する無意識のイメージを体験している時はエゴが吹っ飛ぶが、無意識のあらゆるイメージが出現する・・・たとえば、目の前でゴジラがダンスしている状況で、真面目な祈りが出来るはずがない。

まあ、だから、諦めて長時間祈るしかない。
「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えたホームレスのように。
彼は、たまたま2週間後に無になり、自由とか健康を得るための手っ取り早い手段と無意識が判断したのか、宝くじで1憶円当たり、その後、もう一度やったら、やっぱり1憶円当たった(事実である)。
もっと楽な方法は、大作詞家の阿久悠さんのように、息を吸って止めて祈ることだ。吸って止めると、無に近付くことは、何となく分かっていて、昔から、秘術とか様々な訓練や学習で利用されてきた。
息を吸って止める。そして祈る。
それで、少なくとも、実現の確率はかなり上がるのである。








  
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