日本人の我々が、社会や会社や学校や家庭などに不満があっても、本当に酷い状況にある者に比べれば天国だろう。
世界には、今も紛争地帯はいくらでもあり、そんなところでは、学校や住んでいるアパートに、いつミサイルが飛んで来るか分からいとか、道を歩いていたら射殺されたり拉致されたりがいつでも起こり得るという地域もある。
家の中に突然、銃を持った無法者達が入って来て、金品を持っていったり、暴力を振るうなど、毎日、いくらでも起こっている。
町や村がゲリラに占拠され、住んでいる人達が奴隷化させられるようなこともある。
そういったことを、文章で読んでも、ほとんど実感出来ないし、映像で見るとしても、本当に残虐な場面は隠されている。
平和ボケした我々の感覚も鈍化しており、現地に行って、目の当たりにしないと、本当のことはほとんど分からない。

それでも、精神科医で心理学者のヴィクトール・フランクルの、ナチス強制収容所に収容された時の体験をつづった『夜と霧』を読むと、彼に比べれば自分は天国にいるようなものだと感じる・・・と思ったら、必ずしもそうではないらしい。
人間は、ものごとを、自分の経験と照らし合わせてしか理解出来ず、また、我々は自分の得になることだけしか考えられないようになっているので、この『夜と霧』だって、「これを読めば、どんな得があるのか?」と、本気で思ったり聞いたりする始末である。
そんなものを読んでも大学に合格出来ないし、給料が上がったりしないので、自分が得することしか興味がなければ、なるほど『夜と霧』に何の価値もないというわけだ。

それでも、僅かな感受性や想像力があれば、日本人であるというだけで、ほとんどの人が自分は恵まれていると分かるが、日本人に生まれたのは、たまたまであり、極めて幸運だったのである。
親ガチャに外れた(良い親から生まれなかった)と言っている者だって、ほとんどは、本当に不幸な人達から見れば、素晴らしく親ガチャに当たったのである。
徳川家康は、天下取りの秘訣を尋ねられた際、「上を見るな」「身の程を知れ」だと答えたという話があるが、これなども、家康は単に「天下取りの秘訣を聞きたいなど、身の程を知れ」と言ったのかもしれないと思う。
人間は自分の足元が見えていなければならない。つまり、自分が欲張りで残虐であると知らなければならない。
賄賂をもらった政治家を糾弾する者だって、かなり多くは、自分がその立場になれば、自分ももらうのだ。私ならきっともらう(笑)。
そして、おそらくは純粋な事実として、つけは払わなければならない。つまり、道に外れたことをすれば、強制的に利息付で回収される。おそらく、このことに関し、この世に例外はない。
悪いことをしても、最後まで幸福に見える者は、悪いことを補うほどの善いこともしたのだし、そうでないなら、幸福そうに見えて、実際は誰よりも悲惨だったに違いない。

習慣化すればの話だと思うが、今持っているものに感謝すれば、良いものが与えられるものらしい。
住む家があること、着る服があること、見える目があること・・・何でも良いから感謝すれば、必ず幸運に恵まれる。これもまた、例外はない。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)にかかった武士に、1日1万回「ありがたい」と言うことを指示したが、それに従ったその武士は、1週間で完治してしまったという。
そういえば、私も皮膚病の乾癬が酷い状態なので、やってみることにしよう。








  
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