ある時、成功した事業家が私に、「反応してはいかん」と言ったことを印象深く覚えている。
しかし、人間は反応するように出来ている。

ノーマン・ロックウェルというアメリカの有名な画家がいた。
実に上手い画家で、写真のような写実画を描けた。
もちろん、写真のような絵が描けるだけでは画家になれない。
写真のような絵が描けるというだけの人なら、結構いるものである。
ロックウェルの、こんな絵を見たことがある人は多いと思う。
6歳くらいの小さな黒人の女の子が、左方向に歩く絵だ。絵は、その女の子の左側を描いている。
女の子は左手に、2冊の薄い教科書かノート、それに、定規と鉛筆を2本持っている。
女の子は無表情だ。
女の子の向こう側は壁である。
そして、女の子の1メートルほど後ろの、女の子の頭より少し高い位置の壁に、ぶつけられたトマトが破裂して出来た赤い放射状の液体が付いていて、その下に、半分潰れたトマトが落ちている。
つまり、女の子にトマトが投げられ、女の子は間一髪、トマトの直撃を免れたのかもしれないと思わせる構図である。
すると、女の子が無表情なのは、彼女が意思の力で平静を装っているのだと想像される。内心では、恐怖、不安、悲しみが渦巻いているのでは・・・と感じる。
何を示している絵かは分かると思うが、こんな絵を見て、的外れな解釈をする者も多い。
もちろん、人種差別を表している。

ところで、この女の子にトマトを投げた者については、絵の中には全く描かれていないが、まともな人間なら、そんなことをした者に嫌悪感を持つだろう。
だが、トマトを投げた者は、考えて投げたのではなく、勉強道具を持った、そして特に、この絵の女の子のように、きちんとした身なりの黒人の子供を見て、反射的にトマトを投げた可能性が高い。
反射的というほど速くはないとしても、衝動的に、我慢出来ず、どうしても、そうせざるを得ずに、トマトを投げたのだ。
つまり、トマトを投げた誰かは、黒人のきちんとした身なりの勉強道具を持った子供に「反応した」のである。
ここで、最初の事業家の言葉を思い出したい。
「反応してはいかん」
女の子にトマトを投げた誰かも被害者なのだ。そんな反応をするように、ある意味、訓練された、あるいは、教育されたのである。
そして、どんな人間も・・・もちろん我々も、そんな愚かな反応をする訓練を沢山受けてしまっており、実際、いくつかのものに反応する。いくつかと言ったが、少なくとも数百のものにだ。
良い反応だってあり、必ずしも「反応してはいかん」わけではない。
例えば、車を運転していて、前の車が急ブレーキを踏んで止まった時、我々は反射的に、つまり、状況に反応してブレーキを踏むか、それが間に合わないなら衝突を避けようとハンドルを切る。それらの行動は、考えながらやっていたら間に合わず、反応して動くのである、

人間は、反応して動くようなメカニズムが組み込まれている。
そして、それは多くの場合、悪い反応を起こさせる。
友達が出来ない人というのは、友達が出来ないような反応をするのだ。
例えば、「悪いがペンを貸してくれないかな」と言われた時、「いやだよ」とぶっきらぼうに答えたり、貸すとしても、いかにも嫌そうな顔をするようでは友達は出来ない。
結婚できない人は、結婚出来ないような反応をするのであり、仕事で成功出来ない人は、仕事で成功出来ない反応をするのである。
暴力的な人間を前にしても被害を受けない者もいれば、暴力的な人間がどうしても暴力を振るいたくなるような反応をする者もいるのである。

そして、困ったことに、反応は、自分で気付かないものが圧倒的で、仮に気付いたとしても、自分ではコントロール出来ない。
人間というのは、ある意味、そんな出来損ないである。
だが、悪い反応を、もし消せれば、その人間は、何でも大成功するだけでなく、生命力も高く元気になり、どんな病気も治ってしまう。
やり方は、とてもではないが、ブログの1記事では書けないが、物凄く難しいというわけではない。
とりあえず、今回の記事の内容を知っておくだけでも、知らないのと比べ、人生は雲泥の差となる。
後は、出来るだけ簡単、確実に、悪い反応を消す方法を習得するだけである。








  
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