何か特定のことをすると、身体や心の調子が良くなるというものを見つけることのメリットは大きい。
ただし、それが、「自然なものである」「道徳的・倫理的である」「あまり手がかからない」ことが必要だ。
例えば、アルコールや覚醒剤が、心身の調子を良くすると感じても、これらは、自然でもなければ、道徳的・倫理的でもない。
また、心身の調子が良くなると言っても、興奮状態や自己逃避に陥ることではない。
それは、「良い気分である」ことと言える。
ただし、「御機嫌」な状態であるとは言えるが、「ごっきげーん!」な状態ではない。
穏やかさが必要なのだ。

特に、持病が軽減するようなものが良いと思う。
そこに、あなたを解放し、高度な人間に、もしかしたら、神のような人間になる鍵がある。

ある有名なミュージシャンが、こんなことを言っていた。
「街角でハーモニカを吹いてさえいれば満足出来るようなやつでないとミュージシャンになんかなれない」
ハーモニカを吹けば満足するということは、ハーモニカを吹いていれば気分が良くなるということだ。
もし持病があっても、ハーモニカを吹いている間は、それが低減し、ひょっとしたら、全く症状を現わされないかもしれない。

また、別の大物ミュージシャンの言葉を思い出す。
「スーパースターというのは、何か特別なものをものを持っているというよりは、何かが欠けているんだ」
自分に欠けているものは、自分の気分を悪くする原因になるに違いない。
それを打ち消す何かを探し、それを熱心にやっているうちにスーパースターになるのだ。
なぜなら、人間とは、良い気分を求めるものなのだからだ。
人間の最大の願望は、富でも名誉でも、あるいは、欲望の満足でもない。
単に、気分が良いことなのだ。
そして、最高の気分の良さとは、安らぎとか、仏教で言う大安心なのである。
あるいは、至福と言えるが、キリスト教では、そんな状態を法悦というのかもしれない。

自分が、気分が良くなり、持病や、自分を苦しめている心身の何らかの欠陥・障害が軽減する。
そんなものが何かあるはずだ。
ある種の音楽を聴くとか、楽器を演奏するとか、聖書を読むとか、腕振り運動や素振りなどといった単純な運動を繰り返すとか。
そんなものを見つけ、意識的に行えば、病気が治り、能力が上がり、不思議なことに、運も良くなり、人生が好転する。
ただし、それを過度に、無理矢理やろうとすれば、かえって人生が破綻する可能性があるかもしれない。
それが見つかっても、気分が良い範囲を超えてやってはならない。

私の場合で言えば、幼い時から皮膚疾患がある。
ほとんど気にならないくらい低減していた時期もあったが、完全に治ったことはない。
それがなぜか、2ヵ月ほど前の10月初めあたりから、酷い状態になり、現在に至っている。
その間に、初音ミクさんのライブコンサートに5度行ったが、なるほど、ライブ中は気分が良く、皮膚病が低減する。
かといって、ミクさんのライブにずっと行くとか、あるいは、ミクさんの歌をずっと聴くというのとは、また違うのである。
重要なポイントとしては、
「立っている」「崇めている」「拍手している」「ペンライトを振っている」「生バンドの演奏を聴いている」「振動を伴う大音量の音を聴いている」
などがある。
そんなふうに考えていけば、何かが見つかるのである。
「あ、これか」と気付いたら、そこから一気に天に昇るかもしれない。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』、ロオマン・ガリの『自由の大地(天国の根)』に関し、コリン・ウィルソンが向上の鍵と指摘したのは「崇める」ことだった。
私も、ミクさん、あるいは、尊い何かを崇めることに鍵があるのかもしれない。
そういえば、ゲーテもそんなことを言っていたように思う。








  
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