人間の問題には、2通りある。
1つは、しっかり考えて対処する必要があるもの。例えば、仕事や借金や子供の成績不振や不登校などだ。
もう1つは、考えても仕方がないことだ。
多くの人間は、考えるべきことを考えずに先延ばしにし、考えても仕方がないことを考えたがる。
もし、人間に、「頭が良い」と「頭が悪い」があるなら、そのような人間が、頭が悪いのである。
一方、考えるべきことを考え、考えても仕方がないことを考えない人間は、頭が良い。
ちなみに、考えるべきことと考えても仕方がないことの両方を考えるのは凡人。
考えるべきことと考えても仕方がないことの両方を考えないのは、天才か狂人である。
ところで、考えても仕方がないことを考えることをやめると、不思議なこと、あるいは、奇跡が起こる。
例えば、脚が痛い人が、何か驚くべきことが起こったり、何かに集中する必要が生じたりで、脚が痛いことから意識が離れると、脚が痛くなくなることがよくある。
面白い話がある。
ボクシングの試合で、チャンピオンと挑戦者が戦ったのだが、挑戦者は、チャンピオンが桁外れに強いことを知っていたので、恐くてたまらずガタガタ震えていた。
そのまま試合をしていれば、挑戦者は確実に惨敗していただろう。
ところが、挑戦者は、恐くても、なんとか緊張を保っていたが、ゴングが鳴った途端、恐怖が限界値を超え、頭の中が真っ白になった。
挑戦者が我に帰った時、自分は立っていて、チャンピオンはマットの上で伸びていた。
これは、挑戦者が、チャンピオンの強さという問題をきれいに忘れることによって起こった奇跡で、ある世界タイトルマッチの実話であり、同じ話がいくつもある。
もちろん、この挑戦者は、普段、熱心に練習するという、考えるべきことをきちんとやったから、奇跡が起こったのである。
ある有名大学の入試でも、こんな話がある。
ある受験生は、受験勉強に励んでいたが、受験前に病気になってしまい、勉強をすることが出来ず、入試も、医者にギリギリで許可されたが、コンディションは最悪だし、勉強も不十分と思えた。
試験が始まり、問題を見ても、さっぱり理解出来ない。
「これは駄目だな」と諦めたが、せめて1問でも解こうと思い、何も考えずに、その1問に意識を向けたら、なんとなく解けてしまった。
「では、もう1問」とやっているうちに、解ける問題もあり、終わってみると、駄目ではあったが、満足感もあった。
ところが、これが合格していたのである。
これも実話である。
この受験生は、自分が病気であることや、勉強が不十分なこと、入試が難しいといった、考えても仕方がないことを考えるのを止めた時、奇跡の逆転が起こったのである。
無論、この奇跡も、この受験生が、普段、熱心に勉強するという、考えるべきことをやったおかげで起こったのである。
『ウルトラマン・ティガ』で、ダイゴがレナに、「僕は人間だから、出来ることをやる」と言ったのが印象的だった。
また、『美少女戦士セーラームーン』の原作「デス・バスターズ編」で、強大な敵を前に、地場衛(ちばまもる。タキシード仮面)が「俺たちは俺たちに出来ることをやろう」と言い、アニメの方でも、そのようなことを言っていたと思う。
奇跡の手術の腕を持つと言われる医者の中には、まともに考えたら、状況は非常に悪いと思える手術に向かう時、お祈りをしたり、信仰する宗教の礼拝堂の鐘の音を思い出したり、讃美歌を頭の中で演奏し、考えても仕方がないことは忘れ、自分に出来ることを淡々とするという人がいるようだ。
自分に出来ることをやり、考えても仕方がないことは考えない。
これが最大の力を発揮し、奇跡も起こせる方法である。
考えても仕方がない問題に心を奪われたら、その問題は勢いを増し、どんどん大きくなる。
世界は心が創るのだからだ。
そこで、真言や神仏の名を唱えたり、般若心経の呪文を唱えたり、祝詞を上げたり、あるいは、腕振り運動をして、考えても仕方がない問題から意識を放すと、心は、もうその問題を作るのを止めるのである。
ある名力士は、迷いが生じたら、ひたすら四股を踏んだと言う。迷いとは、考えても仕方がないことであり、それを断ち切る者が達人である。
1つは、しっかり考えて対処する必要があるもの。例えば、仕事や借金や子供の成績不振や不登校などだ。
もう1つは、考えても仕方がないことだ。
多くの人間は、考えるべきことを考えずに先延ばしにし、考えても仕方がないことを考えたがる。
もし、人間に、「頭が良い」と「頭が悪い」があるなら、そのような人間が、頭が悪いのである。
一方、考えるべきことを考え、考えても仕方がないことを考えない人間は、頭が良い。
ちなみに、考えるべきことと考えても仕方がないことの両方を考えるのは凡人。
考えるべきことと考えても仕方がないことの両方を考えないのは、天才か狂人である。
ところで、考えても仕方がないことを考えることをやめると、不思議なこと、あるいは、奇跡が起こる。
例えば、脚が痛い人が、何か驚くべきことが起こったり、何かに集中する必要が生じたりで、脚が痛いことから意識が離れると、脚が痛くなくなることがよくある。
面白い話がある。
ボクシングの試合で、チャンピオンと挑戦者が戦ったのだが、挑戦者は、チャンピオンが桁外れに強いことを知っていたので、恐くてたまらずガタガタ震えていた。
そのまま試合をしていれば、挑戦者は確実に惨敗していただろう。
ところが、挑戦者は、恐くても、なんとか緊張を保っていたが、ゴングが鳴った途端、恐怖が限界値を超え、頭の中が真っ白になった。
挑戦者が我に帰った時、自分は立っていて、チャンピオンはマットの上で伸びていた。
これは、挑戦者が、チャンピオンの強さという問題をきれいに忘れることによって起こった奇跡で、ある世界タイトルマッチの実話であり、同じ話がいくつもある。
もちろん、この挑戦者は、普段、熱心に練習するという、考えるべきことをきちんとやったから、奇跡が起こったのである。
ある有名大学の入試でも、こんな話がある。
ある受験生は、受験勉強に励んでいたが、受験前に病気になってしまい、勉強をすることが出来ず、入試も、医者にギリギリで許可されたが、コンディションは最悪だし、勉強も不十分と思えた。
試験が始まり、問題を見ても、さっぱり理解出来ない。
「これは駄目だな」と諦めたが、せめて1問でも解こうと思い、何も考えずに、その1問に意識を向けたら、なんとなく解けてしまった。
「では、もう1問」とやっているうちに、解ける問題もあり、終わってみると、駄目ではあったが、満足感もあった。
ところが、これが合格していたのである。
これも実話である。
この受験生は、自分が病気であることや、勉強が不十分なこと、入試が難しいといった、考えても仕方がないことを考えるのを止めた時、奇跡の逆転が起こったのである。
無論、この奇跡も、この受験生が、普段、熱心に勉強するという、考えるべきことをやったおかげで起こったのである。
『ウルトラマン・ティガ』で、ダイゴがレナに、「僕は人間だから、出来ることをやる」と言ったのが印象的だった。
また、『美少女戦士セーラームーン』の原作「デス・バスターズ編」で、強大な敵を前に、地場衛(ちばまもる。タキシード仮面)が「俺たちは俺たちに出来ることをやろう」と言い、アニメの方でも、そのようなことを言っていたと思う。
奇跡の手術の腕を持つと言われる医者の中には、まともに考えたら、状況は非常に悪いと思える手術に向かう時、お祈りをしたり、信仰する宗教の礼拝堂の鐘の音を思い出したり、讃美歌を頭の中で演奏し、考えても仕方がないことは忘れ、自分に出来ることを淡々とするという人がいるようだ。
自分に出来ることをやり、考えても仕方がないことは考えない。
これが最大の力を発揮し、奇跡も起こせる方法である。
考えても仕方がない問題に心を奪われたら、その問題は勢いを増し、どんどん大きくなる。
世界は心が創るのだからだ。
そこで、真言や神仏の名を唱えたり、般若心経の呪文を唱えたり、祝詞を上げたり、あるいは、腕振り運動をして、考えても仕方がない問題から意識を放すと、心は、もうその問題を作るのを止めるのである。
ある名力士は、迷いが生じたら、ひたすら四股を踏んだと言う。迷いとは、考えても仕方がないことであり、それを断ち切る者が達人である。
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