昔の、あるとても印象深い話を思い出した。
私の知人に、ある世界的な能力開発プログラムのセールスマンがいる。
そのセールスマン氏は、ある年のセールスコンテストでは、世界中に拠点のある、そのセールス組織の一部門で世界一になったほどの人だった。
そのセールスマン氏が、ある男性T氏に、その能力開発プログラムのセールスをする様子を私は見ていた。
実は、T氏は、やや強引に、その場所である喫茶店に呼び出されたのであり、最初から不快感丸出しの不機嫌で険悪な表情をしていた。そんなT氏に、セールスマン氏がセールスをするのである。
セールスマン氏は、商品である能力開発プログラムに関する説明はほとんどせず、人間というもの、人間の能力というものについて分かり易い話をし、私は、とても面白く聞いていた。
しかし、T氏は、最後まで険悪な表情を全く止めないまま終わってしまった。
セールスは失敗し、セールスマン氏はT氏に「今日はお話を聞いていただき、ありがとうございます」と挨拶をし、T氏、T氏の友人、セールスマン氏、そして、私は喫茶店を出た。
ところが、別れ際、T氏は不意に短い話をした。
T氏はセールスマン氏に、
「私は、あなたの話には、ほとんど納得出来る部分がなかった。しかし、ただ1つ、あなたの話で、母親が幼い子供に『お前は駄目な子だ。大した者になどならない』と言うことが、子供の一生に大きな悪い影響を与えるというところにだけは共感した」
と述べ、セールスマン氏は、「そうですか。ありがとうございます」と礼を言って、我々は別れた。
母親が無思慮に、子供にネガティブな言葉を言えば、子供に悪い影響があるということは、私には常識だったが、そのことをあまり認識していない人も多いのだと思った。
そして、私は気付いたのだ。
T氏がまさに、幼い時、思慮に欠ける母親に、ネガティブな言葉を沢山浴びせられて育ったに違いない。
T氏が深い悩みごとを抱えているらしいことは、私はT氏の友人から聞いていた。
おそらく、T氏は、その時だけでなく、ずっと悩みを抱えているのだ。
幼い時に、母親に、母親が子供に言ってはならない破壊的な言葉を、おそらく、日常的に言われ続けていた時からね。

ただ、大なり小なり、ほとんどの者が、母親、もしくは、幼い時に身近にいた大人から、自分jの能力や存在意義を否定される言葉を刷り込まれている。
そして、脳科学の研究によれば、そんな言葉が、頭の中で、1分間に何百回も再現されているのである。
だから、我々は、それを打ち消す言葉を自分にかけてあげないといけない。
その救いの言葉は、母親が言ったようなレベルのものではなく、もっと高貴な言葉である必要がある。
でないと、どうしても、母親の言葉の方が強いからだ。
いくら自分で「私は頭が良い」と自分に言い聞かせても、母親が幼い自分に「お前は頭が悪い馬鹿な子だよ」と言った言葉の威力の方が大きいのだ。
T氏がセールスしていた、その世界的能力開発プログラムでも、そのための優れたアファーメーション(肯定的断言)を教えていたが、次の聖書の言葉も、アファーメーションに採用されていた。
それは、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」である。
この言葉は、世界的ベストセラー書『積極的考え方で成功する』で、著者ノーマン・ヴィンセント・ピールが、全てがうまくいかず、すっかり自信を失くして苦しんでいた中年の男に教え、その男を立ち直らせた言葉だった。この八方ふさがりの中年男もまた、幼い時、母親に、ネガティブな暗示をかけられていたのである。
あなたも、
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
「神が私の味方であるなら、誰が私に敵対出来ようか」
などを唱え、心に注がれた毒を消すべきかもしれない。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ