大切な願いが叶わない時、どんな心構えでいれば良いのか?
大切な願いが叶わないとは、彼女が出来ないだの、高級車が手に入らないといった浮ついたことではなく、死刑判決を受けた者が死刑の取り消しを求めるといったもので、まして、冤罪であれば、その願いは大きいであろう。

大切な願いが叶わない典型的な例が、聖書(旧約聖書)の『ヨブ記』のヨブという名の信心深い男の場合だろう。
ただ、『ヨブ記』の場合は、神が、ヨブが次々に災難に遭い、ヨブがそれから逃れられないようにすることを、悪魔に対し許可しているのである。
神と悪魔の賭けの対象にされてしまったのだから、ヨブは大変だったわけである。

また、この作品によってノーベル賞を決定的にした、カミュの小説『異邦人』の主人公の青年ムルソーのように、ものごとが思い通りに行かないこと(そのため社会の理不尽な扱いを受けてしまう)によって分かることもあり、ムルソーは、ほとんど悟りを開いたと言えるかもしれない。私としては、非常に好きなラストなのだが、実際にムルソーの立場になれば、多くの人はやはり、奇跡で救われることを願うだろう。

「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」で、悪いことは業消しになって、次は良いことが起こるとか、どんな悪いことも、時が経てば良い思い出になる場合が多いなどというのは、気休めにもならない本当に辛い状況にある人もいるだろう。

アニメ『エル・カザド』で、賞金稼ぎの娘ナディ―が、占い師の老女にカードで占ってもらいながら、「おばちゃん、魔女なんでしょ?だったら、ぱーっと幸せにしてよ」と言うと、老女は微笑んだ。
すると、ナディ―は不満げに「だから、笑ってないでさ」と言う。
ナディ―は、若くて快活ではあるが、子供の時から相当な苦労をして疲れているという面も確かにあるのだった。

皆、大なり小なり、苦労をしていて、「ぱーっと幸せになりたい」と思っているのである。
つまり、「幸せになるスイッチ」が欲しいのである。
それを押しさえすれば、お金が儲かり、健康も愛も得られるスイッチが。
そんなスイッチがあるだろうか?
良識ある大人なら「ない」と言うだろうが、引き寄せの法則を信じているなら「ある」と思いたいだろう。
そして、実は、ここが重要なところだ。
次の話が大きなヒントになる。
著名な心理学者の河合隼雄のところに、小学生か中学生の不登校の息子を持つ父親が相談に来ていた。
父親は、「先生、息子が学校に行くスイッチがありませんかね?」と言ったようだ。
こういう例だと、ポイントがはっきりし易いのだ。
そんなスイッチ、あるはずがない。
そして、本当の問題は、そんなスイッチを欲しがっている父親にあることも、簡単に分かってしまう。
河合先生も、「スイッチ」を欲しがる人が多い、あるいは、「スイッチ」を押す役だけしたい人が多いと言う。
スイッチを押したがる人に共通することがある。
それは、「当事者意識に欠ける」ことだ。
上の、不登校の息子を持つ父親がまさにそうだろう。
息子の問題を、自分の問題と捉えていないから、「スイッチさえ押せば、息子が学校に行くようになれば良い」などと思うのである。

だが、当事者意識を持てば、問題解決は割と容易いのである。
その、不登校の息子を持つ父親の場合、息子と真面目に話し合えば良いだけのことだが、この父親は、絶対にそれをしていない。
いや、父親は「している」と言うかもしれないが、間違いなく、息子を自分の視点だけで捉え、考えを押し付けているだけなのだ。
それなら、神に祈ろうが、念仏を唱えようが、息子が学校に行くはずがない。

お金が欲しいと願って得られない場合も同じだ。
お金を得るスキルも、大金を得るに相応しい信頼もないのに、押しさえすれば大金を得られるスイッチがあったら大変だ。
お金が欲しいなら、お金を得るスキルを持つこと、あるいは、そのスキルを持つ人の信頼を得ることが必要だ。
そう考えるのが当事者意識というものだ。
カミュの『異邦人』も、ムルソーは最後に当事者意識を得たに過ぎない。
だが、それが感動的なのだ。
当事者意識を持っていなければ、神も助けようがない。
逆に言えば、それがあれば、神は必ず助けるだろう。
「神は自らを助ける者を助ける」と言った有名な人の有名な本があるが、それは不正確だ。
「神は当事者意識を持つ者を助ける」のである。








  
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