人間は、苦労しないと分からないこと、辛い目に遭わないと分からないことが沢山ある。
そして、どんな辛い経験も、過ぎてしまえば良い思い出である場合が多い。
もし、昔の出来事の記憶が今も自分を苦しめるなら、それはかなり、業の深い原因から来ており、その問題にはまだ決着がついていないと見るべきかもしれない。

今、とても苦しい状況にあっても、神仏に救いを求めれば必ず救われるが、1時間で救われるとか、一晩で救われるとは限らない。
普段、何らかの行をしている者は、簡単に問題が消えてしまうことが多いが、行を怠り勝ちだったりすると、結構、長く苦しむことがある。
不治の病など、生涯続く苦しみを持つというのは宿命であるが、それによって鍛えられた精神の力は、他の誰にもない貴重な宝である。

江戸時代、ある武士がハンセン病(以前は、らい病と呼ばれた感染症。皮膚に症状が現れる。昔は難病だったが現在は治り易い)にかかった。
当時は、ほとんど良い治療法がなかったが、高名な神道家の黒住宗忠は、その武士に、1日百回「ありがたい」と言うよう指示した。
それをやってみたが、武士に回復の兆しはない。
そこで、宗忠は、「では、千回唱えなさい」と言い、武士は従ったが、それでも良くならない。
すると、宗忠は、「では、一万回」と言う。
普通なら、怒り出すかもしれないが、武士も必死であるし、修行の出来ていた武士だったのかもしれない。宗忠の指示に従った。
すると、一週間後、武士は激しく吐血し、意識を失ったが、目が覚めた時には治っていたという。

現在でも「ありがとう」と言えば奇跡が起こると言う人は少なくないが、それなら、余計な講釈を聞かず、ただ、「ありがとう」と言えば良い。
と言っておいて、少し講釈する。いや、ほんの少しだ(笑)。
「ありがとう」というのは、誰かに対する感謝だ。
一方、「ありがたい」は「有り難い」で、非常に珍しいこと、つまり、奇跡を示す。もちろん、感謝の意味もあるので、「ありがたい」は本来、感謝すべき、ありがたい奇跡なのである。
「神様の奇跡が起こる」と言うのと、「ありがたい」は同じである。
このブログの定番のエピソードであるが、あるホームレスの男が、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱えたていたら、2週間ほどで、宝くじで一億円が当たり、次に、ローマ法王と謁見し、さらに、唱えることを続けていたら、また一億円当たった。これは、著名な教育学者、七田眞氏が保証する事実である。
だから、あなたも、本当に困っていたり、厳しい状況にある時、あるいは、一見、平安だが、不安を抱えているような時は、「ありがたい」か「神様の奇跡が起こる」と、なるべく多く唱えると良い。
これは、非常に、日本人向きだと思う。








  
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