今朝に続き、特に高品質で、汎用的で、どんな人にも適応性が高いアファーメーション(肯定的確言)の2つ目である。

「予期しないことが起こり、道は開ける」

奇跡の第一の特徴とは何かご存じだろうか?
それは「予期出来ない」ことだ。
「20世紀最大の詩人」と呼ばれ、ノーベル文学賞を受賞しているアイルランドの詩人・劇作家であるウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲『カルヴァリー』の舞台は、日本の歌舞伎を参考にしたと言われる。
その『カルヴァリー』の中で、極めて印象深い場面がある。
それは、イエス・キリストとローマ兵との間で交わされる、福音書とは異なる会話の場面だ。
イエスは、神の力の偉大さを説き、自分が、神から、地上の一切の権限を任されていることを宣言した。
ローマ兵達は、イエスの言葉を疑ってはいなかった。
だが、ローマ兵の1人は、イエスに言う。
「それがどうした?お前の神は我々の神ではない。サイコロが我々の神だ。予期せぬことでさえあれば、どんなことでも起こることが最善だ」
イエスは、ローマ兵達の強さに屈服する。

確かに、イェイツは、ニーチェやオスカー・ワイルドらと同様、アンチ(反)キリストだった。
とはいえ、彼らは、決して、イエスをナメているわけでも、低く評価しているわけでもない。
ただ、反発したいのだ。
ニーチェは、『ツァラトゥストラはこう語った』で、ツァラトゥストラに、イエスが高貴な魂の持ち主であると言わせているし、イェイツも、イエスの教えの巧みさを称賛していた。
だが、イェイツは、上の『カルヴァリー』で、イエスを裏切ったイスカリオテのユダに、イエスに向かってこう言わせている。
「俺は、お前が神であることを疑ったことなどない。俺がお前を裏切ったのは、お前が万能に思えたからだ」

ここらは、少し困惑するかもしれない。
だが、何かを感じるのである。
『カードキャプターさくら』でも、魔術師クロウ・リードの生まれ変わりであるエリオルが、聖獣スピネルと、こんな会話をしている。
「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「それは、予想しないことが起きることだよ」

予期しないことを受け入れる者は強いのだ。
予定された、決まったレールの上を行きたがる者は弱い。
分かり易く言えば、強い心の持ち主、勇気ある者は、冒険を恐れず、むしろ、冒険を求める。冒険こそが人生なのだからだ。
そして、奇跡とは、冒険を楽しむ者・・・つまり、予期しないことを待ち望む者に訪れるのである。

神の力は想像を超える。
讃美歌では、神の業のことを、度々「奇し(くすし)」と言う。
「奇し(くすし)」とは、神秘的であるという意味で、人間には不思議なことだ。
神が、人間に予想出来るような、当たり前のことをするはずがない。そんなものは人間にやらせている。
だが、当たり前のことしか起きなければ、大きな発展はない。
山のような大きな問題が解決することもない。
偉大な救い、歓喜する喜びもない。
だから、予期しないこと・・・神の業を受け入れるのである。
そのための言葉が、
「予期しないことが起こり、道は開ける」
なのである。
あなたは今、八方ふさがりかもしれないし、いかに努力しても、厚い壁はビクともしないかもしれない。
しかし、奇跡は起こるのである。
あなたが受け入れさえすれば。
だから、「予期せぬことが起こり、道は開ける」と、常に唱えることにより、神の奇しき業で道は開かれ、あなたは勝利し、歓喜するのである。








  
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