アファーメーション(積極的な断言)、真言(マントラ)、呪文、自己暗示、念仏などは、1つを選択し、唱えることが最も良いと思えるが、我々普通の人が、ただ1つの言葉を選択することは難しいかもしれない。よって、いくつでも構わないが、とにかく何かを唱えた方が良い。
というのは、放っておいたら、我々はとかく下らないことを考え、それを拡大し、妄想としか言えないものの中に簡単に沈み込むからだ。
しかも、脳が自動的に行なう思考のベースは、生まれてからこれまでに、親、学校、テレビなどのメディアなどから叩き込まれたもので、それらは最悪のものが多い。
また、脳科学の研究によれば、脳は、1分間に三百以上もの言葉をつぶやくと言われるが、普通の人では、その言葉はネガティブなものが圧倒的に多い。
いずれにしろ、そうやって、自分の意思とは関係なく働く脳は、エネルギーを消費し、しかも、気分をネガティブにして、何もしなくても疲れてしまうことが多いのである。
それでは、人生がうまくいくはずがない。

アメリカで、「ナ・ダーム」という、何の意味もなく、また、どんなイメージも想起させ難い言葉を、末期の癌患者に唱えさせると、奇跡のような回復が起こったという話があるが、これは、意味のない言葉をつぶやくことで、脳の無秩序な思考を止め、エネルギーをセーブして脳を健康な状態に保つことにより生命力を高めたと言えるかもしれない。いずれにしても、顕著な効果があったのである。
発明家で能力開発の大家であった中山正和氏は、般若心経の呪文「ぎゃてい、ぎゃてい、・・・」も、そんな用途で使うことを勧めていたと思う。
もちろん、般若心経の呪文には、高次の力の効果も期待出来るが、それを置いておいても、これは良いリズムのある言葉であり、大きなマイナスを防ぐだけでも、素晴らしい効果がある。そして、その上に、神秘な力が秘められているのである。
このことは、あらゆる高貴な真言や、神仏の名についても言える。
私も、昔から、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」や、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えているうち、心が静かになれば、直観が冴え、また、現実操作が出来ることもよくあった。
自分が好きな真言を、1つか2つ(それ以上でも構わない)持っていることは良いことと思う。

ニサルガダッタ・マハラジも最高の真言と言った「私は在る」や、イギリスの賢者F.L.ローソンの究極の言葉、「神の他に何もない。ただ神だけがある」は、唱えた者をただちに高次元に引き上げ、神としての活動に入るようになるだろう。
無論、深い海に潜る時は、徐々に慣れていく必要があるように、意識が高次の領域に進むのも、毎日、たゆまず、真言を唱えることで、少しずつ慣れていく必要がある。

真言、アファーメーションは、心の中で、ゆっくり、静かに、穏やかに、丁寧に唱えなければならない。
感情を込め過ぎたり、せかせか唱えては、かえって無駄なエネルギーを消費し、疲れてしまう上に、アファーメーション自体を否定するような想念を起こしかねない。

何も考えず、ぼーっとする時間は必要なものだが、本当にぼーっとしているのではなく、脳の中で、妄想やネガティブな言葉が空回りしているのであれば、それをただちに止めないといけない。
だから、特に現状を変化させたいと望むなら、このブログでよく取り上げる言葉(もはや真言とも言える)「神様の奇跡が起こる」を唱えたり、「私は最高の気分だ」といった言葉を唱えると良い。
ツイてるやつとツイてないやつ・・・それを分けるのは、良い言葉を唱えているか、そうでないかが大きな要因である。
また、敢えて今回は強調しなかったが、言葉によっては、非常に霊的な効果もあるので、いっそう丁寧に、そして数多く唱えると良いと思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ