アメリカの作家、マイク・ハーナッキーは、若い時から、成功を目指し、成功哲学をしっかり学びながら努力した。
まず、教師になったが、全く面白くなく、給料も少なかったので、広告業界に転職してバリバリ働いたが成果が出なかった。
そこで、大学の法学部に入って勉強し、弁護士になって、「今度こそ」と思ったが、これも駄目で、ついには、病気になって入院する始末。
成功哲学は全く効果がなく、自分は人生の敗北者ではないかと思い始めていた時、不意に天啓を得て、究極の成功の秘訣を発見。
すると、自分が本当になりたかったのは作家だと気付き、作家になると決めて、弁護士事務所から退職。
そして、作家として成功したのである。
彼が発見した究極の成功の秘訣は次の通り。

何かを成し遂げようとするには、
必要なことはすべて
進んで実行する自発的な態度が必要である。

ただし、必要なのは、あくまで「態度」であって「行動」ではない。
ただし、「態度」と「行動」の線引きが難しいことが、次の話から分かる。
この究極の成功の秘訣が説明されたハーナッキーの著作『成功の扉』を読んで、書かれている通りに実行したが、成果が得られないという読者からの手紙を、ハーナッキーは沢山受け取ることになった。
ハーナッキーが、そういった、成功出来なかった読者と対話してみると、「いくら何でも、これくらいはやれよ」と言わざるを得ないほど、彼らが本当に何もしていなかったことにハーナッキーは呆れたが、読者の方は、そう言われても心外かもしれない。その読者にも、確かに甘い考えはあったのだろうが、そうは言っても、どこまでやる必要があるのかが分からず、下手に余計なことをやっても、無駄骨になって、無力感を感じるだけだろう。
ハーナッキーは、明らかに、言葉が足りなかった。

自分がすべき行動について理解するのに参考になるお話が、仏教の経典にある。
私はそのお話を、昔、ホテルの部屋に置かれている『仏教聖典』で読んだ。
そのお話は、簡単に言うとこうだ。
竹藪が大火事になった時、そこに棲んでいた一羽のオウムが、長年、棲み処を与えてくれた竹藪の恩に報いようと、池に飛び込んで身体を濡らしては燃え盛る炎の上で羽ばたき、水しぶきをかけて、火を消そうとした。
それを見て神が、「その程度の水ではどうにもならない」と言う。
しかし、オウムは、いつまでかかっても、死んでも生まれ変わって断固やると言う。
それを聞いて感動した神は、オウムと力を合わせて火事を消した。

神が、オウムと力を合わせて火事を消したといっても、実際には神が消したのだ。
つまり、実行するのは、ほとんど神なのである。
ハーナッキーの究極の秘訣にも、そうであることが込められてはいるのだが、ハーナッキーの究極の秘訣を知った者は、どうしても、自分がやる・・・つまり、自分のちっぽけな力でやろうと思ってしまうのだ。
それでは、何も起こらない。
このオウムのお話のように、自分がやることは、実際は無に等しい。しかし、無に等しくても、やることがある。それがちょっと難しいのに、ハーナッキーは、それに気付かなかったのだ。

実際は、あなたは何もしなくていいし、しようとすら思わなくていい。
何でもやってくれるのは、優秀で強い神であり、無能で弱いあなたではない。
あなたがやるべきことは、願いが叶った楽しい気分になることだけだ。
だが、そうなるために、とりあえず、何かやった方が良いのである。
これに関しては、成功哲学の分野で、ジョセフ・マーフィーやジェームズ・アレンと並ぶとも言われ、能力が低い人にも適切な教えを説いたフローレンス・スコーヴェル・シンの『成功への秘密の扉』に、こんな話がある。
海外旅行に行きたいという男がいたが、彼は必要なお金を持っていなかった。
そこで、シンは、男に、旅行カバンを買うよう勧め、彼はその通りにした。
そして、彼は、旅行に行けることを肯定するアファーメーション(積極的断言)を行った。
彼のアファーメーションは、
「神の御恵みのもと、私の旅行が完璧に準備され、旅行資金も調っていることに感謝します」
だったが、正直、何でも良い。自分に合いさえすれば。
それこそ、「神様の奇跡が起こる」で良い。
アファーメーションをしながら、買ったスーツケースを見ると、自分は外国に行くんだと思って気分が良くなった。
そうなるために、スーツケースを買ったのである。
そして、彼はまもなく大金を手にし、旅行に出かけて行った。

マイク・ハーナッキーの究極の秘訣は、神の境地に立った者であれば、極めて正しいのだが、普通の人は、それとはほど遠いのである。
だが、上のオウムや海外旅行に行きたかった男のように、力がない者でも、自分に出来ることをすれば、気分が良くなる。
そして、良い気分になることだけが必要なのである。
だから、あなたも、自分に出来ることで、気分が良くなることをやれば、願いは叶ったも同然である。
結婚したい女性が婚活をするのは、自分のちっぽけな力を頼ることであり、大抵、芳しい成果を見ない。だいたい、婚活なんて面白くなく、気分が悪くなるだけじゃないか?
それよりも、妻や母親になるのに相応しい勉強をするとか、女を磨くとか、自分が良い気分になることをすれば良いのである。

だが、ハーナッキーの究極の秘訣は、彼の悟りの境地であるだけに、捨てるのは惜しい。
「私は神と一体である」というアファーメーションと共に、ハーナッキーの究極の秘訣を使えば、実際にやるのは神ということになり、受け入れ易くなると思う。








  
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