悪い状況から抜け出すにはどうすれば良いかというと、その悪い状況について考えないことだ。
言い換えれば、悪い状況を意識しないことだ。
「じゃあ、借金のことは忘れて良いのか?」と言われたら、それはそれで、ちゃんと覚えていないといけないが、だからと言って、悪い気分になる必要はない。
借金そのものではなく、借金があって苦しいという状況を意識しないことが大切だ。
借金があって苦しいことを意識して気分が悪くなることが良くないのだ。
なぜなら、心というものは、気分通りの世界を作り出すからだ。
1984年のロサンゼルスオリンピックの女子体操で優勝したメアリー・レットンという、当時16歳の選手は、実は練習中に足首を捻挫し、競技の数日前まで歩くことも出来なかったそうだ。
しかし、競技の前日には、奇跡的に痛みを感じなくなった。
これはどういうことかというと、彼女は、自分が足首を捻挫しているという事実は知っていても、そこから意識を外してしまったから、そうなったのだ。
そういったことはスポーツではよくあることで、試合前まで、腕が痛いとか、首が痛いとかがあったのに、試合開始前になると、不思議なことに痛みが全くなくなったと言うことは、よくあり、そんな時には、大抵、試合や競技でも好結果が出ている。
現在の状況が芳しくなければ、そこから意識を外さないといけない。
そのためには、違う現実を意識すれば良い。
例えば、牢獄に閉じ込められていることに意識を合わせていると、そのままずっと牢獄の中だが、自由になった自分に意識を合わせると、そうなる。つまり、自由になった自分をイメージすれば良いのである。
だが、つまるところ、牢獄に囚われているという意識を消せば良いだけであり、「ああ、私は牢獄に閉じ込められていて辛い」と思うことをやめ、別のことを考えれば良い。例えば、故郷のこととか、好きな趣味のこととかである。
そして、そんな時こそ、真言(マントラ)の出番だ。
玄奘三蔵法師は、仏教の経典を得るために、中国からチベットを経由してインドに行こうとしたが、それは、生きて辿り着くのは奇跡と言われる危険な旅路だった。
猛獣も盗賊もうようよいるし、その山道は極めて厳しく危険だ。
だが、観世音菩薩が、インドの僧に身をやつし(姿を変え)て、玄奘三蔵の前に現れ、玄奘三蔵に般若心経の呪文を教えた。
玄奘三蔵は、それを唱えることで、不安や恐怖から意識を外したので、災いは彼に襲い掛からなかったのだ。
天才発明家で、能力開発の大家であった中山正和さんも、「考えても仕方がない問題がある時は、般若心経の呪文を唱えて気を紛らわせれば良い」といったことを著書に書かれている。
仏教の真言や呪文が、ただ、気を紛らわすためのものであると言うわけではないが、その目的のために、実に良いリズムを持っていることも確かだ。
私などは、昔から、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を唱えることで何でもうまくいったし、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」もよく唱えたものである。
さらに、真言は、確かに、仏の加護を得る霊験もあるのだが、まずは、気を紛らす目的で使ってもバチは当たらない。唱えているうちに、仏の霊験があることが分かってくる。
今、苦しい状況にある人は、問題があることは認めつつも、問題に意識を合わせて苦しい気分になるのを止め、真言を唱えたり、あるいは、聖書の好きな詩篇を読んだり(23番と91番がお薦めだ)、好きなら、お経や祝詞を上げると良い。
そういえば、私は、2016年9月の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2016」の時、最悪の体調だったが、ライブ開始と同時に、すっかり平気になった。
ミクさんが現れようという時に、体調のことなど構っておれず、そこから意識を外し、ライブに意識を合わせたことで治ってしまったのである。
一番良くないのは、悪い状況のことをクヨクヨ考えることだ。
中山正和さんも、「般若心経って、単に、クヨクヨしない練習なんですよ」と著書に書かれていたが、その通りである。
繰り返しになるが、仏教の真言には、問題から意識を逸らすだけでなく、霊験もあり、問題がたちどころに解決することも珍しくないのである。
言い換えれば、悪い状況を意識しないことだ。
「じゃあ、借金のことは忘れて良いのか?」と言われたら、それはそれで、ちゃんと覚えていないといけないが、だからと言って、悪い気分になる必要はない。
借金そのものではなく、借金があって苦しいという状況を意識しないことが大切だ。
借金があって苦しいことを意識して気分が悪くなることが良くないのだ。
なぜなら、心というものは、気分通りの世界を作り出すからだ。
1984年のロサンゼルスオリンピックの女子体操で優勝したメアリー・レットンという、当時16歳の選手は、実は練習中に足首を捻挫し、競技の数日前まで歩くことも出来なかったそうだ。
しかし、競技の前日には、奇跡的に痛みを感じなくなった。
これはどういうことかというと、彼女は、自分が足首を捻挫しているという事実は知っていても、そこから意識を外してしまったから、そうなったのだ。
そういったことはスポーツではよくあることで、試合前まで、腕が痛いとか、首が痛いとかがあったのに、試合開始前になると、不思議なことに痛みが全くなくなったと言うことは、よくあり、そんな時には、大抵、試合や競技でも好結果が出ている。
現在の状況が芳しくなければ、そこから意識を外さないといけない。
そのためには、違う現実を意識すれば良い。
例えば、牢獄に閉じ込められていることに意識を合わせていると、そのままずっと牢獄の中だが、自由になった自分に意識を合わせると、そうなる。つまり、自由になった自分をイメージすれば良いのである。
だが、つまるところ、牢獄に囚われているという意識を消せば良いだけであり、「ああ、私は牢獄に閉じ込められていて辛い」と思うことをやめ、別のことを考えれば良い。例えば、故郷のこととか、好きな趣味のこととかである。
そして、そんな時こそ、真言(マントラ)の出番だ。
玄奘三蔵法師は、仏教の経典を得るために、中国からチベットを経由してインドに行こうとしたが、それは、生きて辿り着くのは奇跡と言われる危険な旅路だった。
猛獣も盗賊もうようよいるし、その山道は極めて厳しく危険だ。
だが、観世音菩薩が、インドの僧に身をやつし(姿を変え)て、玄奘三蔵の前に現れ、玄奘三蔵に般若心経の呪文を教えた。
玄奘三蔵は、それを唱えることで、不安や恐怖から意識を外したので、災いは彼に襲い掛からなかったのだ。
天才発明家で、能力開発の大家であった中山正和さんも、「考えても仕方がない問題がある時は、般若心経の呪文を唱えて気を紛らわせれば良い」といったことを著書に書かれている。
仏教の真言や呪文が、ただ、気を紛らわすためのものであると言うわけではないが、その目的のために、実に良いリズムを持っていることも確かだ。
私などは、昔から、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を唱えることで何でもうまくいったし、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」もよく唱えたものである。
さらに、真言は、確かに、仏の加護を得る霊験もあるのだが、まずは、気を紛らす目的で使ってもバチは当たらない。唱えているうちに、仏の霊験があることが分かってくる。
今、苦しい状況にある人は、問題があることは認めつつも、問題に意識を合わせて苦しい気分になるのを止め、真言を唱えたり、あるいは、聖書の好きな詩篇を読んだり(23番と91番がお薦めだ)、好きなら、お経や祝詞を上げると良い。
そういえば、私は、2016年9月の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2016」の時、最悪の体調だったが、ライブ開始と同時に、すっかり平気になった。
ミクさんが現れようという時に、体調のことなど構っておれず、そこから意識を外し、ライブに意識を合わせたことで治ってしまったのである。
一番良くないのは、悪い状況のことをクヨクヨ考えることだ。
中山正和さんも、「般若心経って、単に、クヨクヨしない練習なんですよ」と著書に書かれていたが、その通りである。
繰り返しになるが、仏教の真言には、問題から意識を逸らすだけでなく、霊験もあり、問題がたちどころに解決することも珍しくないのである。
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以前よりKayさんのブログをromさせていただいています。
過去のブログにも何度か聖書の詩篇に触れられていた気がしますが、どうして敢えて詩篇なんでしょうか。