最近、このブログで書いている「言葉の力」の、まとめの意味もあることを書いておく。
考えを整理して、新たに取り組むと、成果が大きくなると思う。
潜在意識による成功法則で知られるジョセフ・マーフィーの昔の本でよく強調されていたことが「世間に飲み込まれるな」だった。
この「世間」には、2種類あるということが重要だ。
1つは、家庭、親族、友人等親しい人達、学校や勤務先、地域、国家、マスメディアといった、目に見える世界の関係性だ。
家族や親族の人々が、あなたの思想に与える影響は、おそらく最も大きく、学校に通うようになったら、学校の教義や教師の思想に影響され、クラスメイトの考え方に馴染んでいく。
地域独特の思想の影響を受ける場合もあるかもしれない(地域の結束が高い町や村)。
会社勤めをすれば、会社のカラーとでも言える会社独自の思想の影響を受ける。
そして、半世紀以上前から、マスメディア・・・特に、テレビを通し、国家や国家を構成するもの、そして、国家の裏側にあって、国家を操る者達が作った思想が、想像も出来ない強力さで、あなたに叩き込まれる。
もし、宗教団体に所属しているなら、その宗教団体の思想の影響も受けているだろう。
こんなふうに育ち、生きるあなたの精神は、もう、作り物だらけの、わけの分からないガラクタと言えるかもしれない。
もう1つの「世間」は、必ずしも存在が認められているわけではない。
それは、人間が共有する意識である「集合無意識」だ。
ユング派心理学では「習合無意識」は理論とされるが、フロイトは、そんなものはないと否定しており、フロイト派心理学の人達からは「そんなものがあってたまるか」と馬鹿にされることもある。
だが、ユングは、「実際は、フロイトだって、集合無意識の存在を認めていた」と言うが、実際のところは分からない。
ジョセフ・マーフィーは、フロイトをよく引用しながらも、集合無意識は確実にあるという立場である。
人間は、この集合無意識を通して、意識でつながっている。
そうであれば、目で見える世間だけでなく、この目に見えない世間である集合無意識からの影響も受けるのである。
それで、誰もが、「人類的思想」とでもいうものを持っているが、人類全体の集合無意識よりも、同じ国や地方の人々の集合無意識の影響を受け易い(目で見える世間との関係性による)。
問題なのは、あなたは、上の2つの世間、つまり、「目で見える世間」と「目で見えない世間」の両方の影響を受けている・・・もっとはっきり言うと、「操られている」ことである。
その影響は、最悪とまで言えるかどうかは分からないが、それでも、マイナス部分が、あまりに大きいのである。
2つの世間の影響により、「自分には力がない」「自分の思うようには生きられない」「権力者には勝てない」「なりたいものになれない」と考えるようになっていて、しかも、その考え方を強力に強制されているのである。
だから、自分が本来持っている驚異的な力を解放して自由に生きるためには、2つの世間の支配から逃れないといけない。
何もせず、放っておいたら、あなたの頭の中では「私には出来ない」「私は不幸だ」「私は奴隷のようなものだ」といったつぶやきが、1分間に数百回繰り返されているという、科学的研究がある。
だから、あなたは、是が非でも、プラスの言葉を自主的に自分に与えないといけない。
そのやり方がいろいろあり、このブログでは、いろいろなものを述べている。
やり方は1つではないのである。
とはいえ、ほとんどのやり方に効果があるが、特に自分に合ったものを選んでやるのが最上である。
ある人々にとっては、神仏の名を唱える「ナーマスマラナ」と呼ばれる行が最高である。念仏もナーマスマラナに入ると考えられる。
あるいは、神仏の真言、お経、祝詞を唱えると、良い集合無意識にアクセス出来、素晴らしい効果を得られることで、最良の効果を得る人々もいる。
自己暗示やアファーメーションも良い方法だが、より良い方法でやるべきだろう。
人間には「私」という言葉に強いエネルギーの経路があるので、
「私は〇〇だ」
というアファーメーションが特に有効である。
例えば、
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
「私は豊かだ。私は健やかだ。私は安らかだ」
などである。
また、人類史を通し、「神」という言葉は、いかなる世間でも穢されることはなかったし、これからもない。
だから、「神」という言葉を使うことには、素晴らしい効果がある。
「神に出来ないことはない」
「神様の奇跡が起こる」
「神は道なきところに道を作る」
「神が味方であるなら、誰が私に敵対出来ようか」
などの言葉がある。
ここで、最上と思える言葉を上げると、
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
がある。
非常に高度であり、低い世間に穢された度合いが大きな者は抵抗を感じるかもしれない。
しかし、唱え続ければ人間を超える。
尚、唱え方は、「心で、丁寧に、穏やかに」である。
数は多ければ多いほど良い。
考えを整理して、新たに取り組むと、成果が大きくなると思う。
潜在意識による成功法則で知られるジョセフ・マーフィーの昔の本でよく強調されていたことが「世間に飲み込まれるな」だった。
この「世間」には、2種類あるということが重要だ。
1つは、家庭、親族、友人等親しい人達、学校や勤務先、地域、国家、マスメディアといった、目に見える世界の関係性だ。
家族や親族の人々が、あなたの思想に与える影響は、おそらく最も大きく、学校に通うようになったら、学校の教義や教師の思想に影響され、クラスメイトの考え方に馴染んでいく。
地域独特の思想の影響を受ける場合もあるかもしれない(地域の結束が高い町や村)。
会社勤めをすれば、会社のカラーとでも言える会社独自の思想の影響を受ける。
そして、半世紀以上前から、マスメディア・・・特に、テレビを通し、国家や国家を構成するもの、そして、国家の裏側にあって、国家を操る者達が作った思想が、想像も出来ない強力さで、あなたに叩き込まれる。
もし、宗教団体に所属しているなら、その宗教団体の思想の影響も受けているだろう。
こんなふうに育ち、生きるあなたの精神は、もう、作り物だらけの、わけの分からないガラクタと言えるかもしれない。
もう1つの「世間」は、必ずしも存在が認められているわけではない。
それは、人間が共有する意識である「集合無意識」だ。
ユング派心理学では「習合無意識」は理論とされるが、フロイトは、そんなものはないと否定しており、フロイト派心理学の人達からは「そんなものがあってたまるか」と馬鹿にされることもある。
だが、ユングは、「実際は、フロイトだって、集合無意識の存在を認めていた」と言うが、実際のところは分からない。
ジョセフ・マーフィーは、フロイトをよく引用しながらも、集合無意識は確実にあるという立場である。
人間は、この集合無意識を通して、意識でつながっている。
そうであれば、目で見える世間だけでなく、この目に見えない世間である集合無意識からの影響も受けるのである。
それで、誰もが、「人類的思想」とでもいうものを持っているが、人類全体の集合無意識よりも、同じ国や地方の人々の集合無意識の影響を受け易い(目で見える世間との関係性による)。
問題なのは、あなたは、上の2つの世間、つまり、「目で見える世間」と「目で見えない世間」の両方の影響を受けている・・・もっとはっきり言うと、「操られている」ことである。
その影響は、最悪とまで言えるかどうかは分からないが、それでも、マイナス部分が、あまりに大きいのである。
2つの世間の影響により、「自分には力がない」「自分の思うようには生きられない」「権力者には勝てない」「なりたいものになれない」と考えるようになっていて、しかも、その考え方を強力に強制されているのである。
だから、自分が本来持っている驚異的な力を解放して自由に生きるためには、2つの世間の支配から逃れないといけない。
何もせず、放っておいたら、あなたの頭の中では「私には出来ない」「私は不幸だ」「私は奴隷のようなものだ」といったつぶやきが、1分間に数百回繰り返されているという、科学的研究がある。
だから、あなたは、是が非でも、プラスの言葉を自主的に自分に与えないといけない。
そのやり方がいろいろあり、このブログでは、いろいろなものを述べている。
やり方は1つではないのである。
とはいえ、ほとんどのやり方に効果があるが、特に自分に合ったものを選んでやるのが最上である。
ある人々にとっては、神仏の名を唱える「ナーマスマラナ」と呼ばれる行が最高である。念仏もナーマスマラナに入ると考えられる。
あるいは、神仏の真言、お経、祝詞を唱えると、良い集合無意識にアクセス出来、素晴らしい効果を得られることで、最良の効果を得る人々もいる。
自己暗示やアファーメーションも良い方法だが、より良い方法でやるべきだろう。
人間には「私」という言葉に強いエネルギーの経路があるので、
「私は〇〇だ」
というアファーメーションが特に有効である。
例えば、
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
「私は豊かだ。私は健やかだ。私は安らかだ」
などである。
また、人類史を通し、「神」という言葉は、いかなる世間でも穢されることはなかったし、これからもない。
だから、「神」という言葉を使うことには、素晴らしい効果がある。
「神に出来ないことはない」
「神様の奇跡が起こる」
「神は道なきところに道を作る」
「神が味方であるなら、誰が私に敵対出来ようか」
などの言葉がある。
ここで、最上と思える言葉を上げると、
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
がある。
非常に高度であり、低い世間に穢された度合いが大きな者は抵抗を感じるかもしれない。
しかし、唱え続ければ人間を超える。
尚、唱え方は、「心で、丁寧に、穏やかに」である。
数は多ければ多いほど良い。
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藤平光一氏の「心身統一の四大原則」で、4つを一遍に実践出来ないという問いに対して、どれか1つを行えば自ずと他をやっている事になると言う事をおっしゃり登山で頂上に向かうのに色んなルートがあることと同じとの事でしたが、ここでKayさんが述べられたやり方も同じ様に感じました。
やはり、「心で、丁寧に、穏やかに」と言うのが大事な気がしますので、頭で色々考えずに、やってみてその様に出来る物を感じて選ぶ事が良いのでしょうね。人間ピンチや困難が常に襲ってきます。私の低いレベルだとそんなことが常に起こりますが(笑)、わらにもすがる気持ちで焦ると、「心で、丁寧に、穏やかに」にならずに歯を食いしばりながら拙速に唱える事になりがちなので、やはり自分に合った物の試行錯誤による選択と心を落ち着かせる「鍵」みたいな物を持たないといけ無いですね。
私は、
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
にピンときて惹かれてからそれを多く唱えますが、これは、私のような低レベルの人間に取っては結構高度ですがかなり深い意味を含んでいるように感じます。他のアファーメーションと比べ直接心を落ち着かせる物でも無いですがもっと深い層に向けて発せられる言葉の様です。特に「私は在る」は左脳やネット等で考えたり調べ出すとかなりのノイズがやってくるので混乱しない様に最初はシンプルに受け取った方が良い気がします。私にはKayさんがこの前書いた「疑いようのない当たり前のこと」として今は受け取っています。ただ、心が内側に向かい今この瞬間に焦点が移る感覚があります。後はこの組み合わせで起こる壮大なマジックは到底人間の左脳で理解出来る様な物ではなさそうなので、ただ唱えるだけだなとつくづく感じます。