「道は開ける」「道を開く」という言葉がよく使われる。
願いが叶うと思えない状況というのは、「道が開けない」ということだ。
そして、道は、無理に開けようとしても開けるものではない。

例えば、ミュージシャンになりたくて、路上ライブをやったり、動画サイトに投稿するが、人気が出ない、再生数が伸びない・・・という人を私は直接知っている。
彼は、歌もギターも、素人から見ればかなりのものだが、恐ろしく上手いとか、強烈なインパクトがなければプロにはなれない。
だが、プロのミュージシャンだって、必ずしも、最初から物凄く上手かったり、凄いインパクトがあったのではなく、何かのきっかけで、上手くなったり、インパクトが出て来たのだ。
英国の作家コリン・ウィルソンも言っていたが、「天才とは所詮、内なる衝動」なのであるが、内なる衝動を起こすには、何かが必要なのだ。
その何かが起これば、不思議なことに、内面だけでなく、外側の世界も動き出す。
その何かが起こることを「道が開ける」と言うのだろう。
そして、道が開けるかどうかは運次第だ。「たまたま」と言っても良いだろう。
どんな凄い人達だって、本当は「たまたまうまくいった」に過ぎないのだ。

道が開けなければ、一生、スターを羨む、惨めな小市民である。
世界的ミュージシャンや英雄的なスポーツ選手だって、道が開かなかったら、ただの音楽マニアでしかない平凡なサラリーマンや、肉体労働者として老いて死ぬだけだったのである。
人間に運命を動かすことは出来ない。
だが、どれほど才能があろうが、努力しようが、道が開けなければ・・・運がなければ、何にもなれない。

もちろん、外面的にはスターになれなくても、スター以上の充実した人生を送れれば良いのである。
そうなれれば、名声や巨万の富を望む必要がないことが分かるかもしれない。
しかし、普通の人は、本当は皆、平凡な自分が惨めで、人生を呪い、自分が嫌いなのだ。
だから、道の先がどうなるのであれ、その道が開いて欲しいのである。

それなら、多くの真に賢い人達の助言を慎重に吟味し総合すると、言葉を使うより他に方法はない。
どんな言葉かと言うと、こうだ。
「神に出来ないことはない」
「神は道なきところに道を開く」
これらの言葉の何が良いのだろう?
字句が真理を語っているかどうかは、実は、それほど重要ではない。
単に、「神」という言葉が含まれているという理由で、これらの言葉は、間違いなく最上であり、最高のヴァイブレーション(波動)を発し、これらの言葉を、心で丁寧に何度も繰り返す者は、必ず道が開けるのである。
上記の言葉でなくても、神を含む肯定的な言葉であれば、およそ何でも良い。
例えば、
「神様の奇跡が起こる」
「神よ、与えたまえ」
など、いくらでもあるだろう。
その理由は、その気になれば、いくらでも語れるが、これまでにもかなり語ってきたし、それよりも実践が大切である。
ただし、本当に十分に、これらの言葉を使わなければならない。
1年に1度や2度唱えただけで、どうなるものでもない。
いくら唱えても多過ぎることはない。
生活しながら唱えるのでは不十分で、唱えながら生活することが貴いのである。

もちろん、やり方はいろいろで、念仏で道が開けると予感するなら、そうすれば良いのである。その予感が裏切られることはない。








  
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