『カードキャプターさくら』という20年以上人気を保っている漫画・アニメの中に、月城雪兎(つきしろ ゆきと)という、面白い人物がいる。
雪兎は、最初は高校3年生で、主人公である木之本桜(小4)の憧れの人だった。色白で華奢な美男子で眼鏡をかけていて、いつもぼんやりして、天然で、人と話す時はニコニコしていて、不機嫌になることは・・・まあ、ない。
一見、いい人だけの頼りなさそうな男だ。
だが、実は、彼はスーパーマンで、秀才の上、スポーツ万能。普段は部活は何もしていないし、運動をしている様子すらないが、スポーツ部から、試合の時に、たびたび「助っ人」として駆り出されると、必ず大活躍する。
「そんなこと、実際にはあり得ない、やっぱり漫画だ」と思うだろうが、年配の人に聞くと、「ああ、クラスにそんなやつ、いたな」と普通に言う人が案外に多いのである。
プロ野球選手としても監督としても超一流だったある人も、高校の時は野球部に所属せず、助っ人で試合に出ていたという話もある(詳細は忘れたので名は伏せるが、多分落〇さん)が、彼の世代だ。
昔のことだから、家の手伝いが忙しくて、クラブに入ったり練習をしたり出来ないのに、野球やバレーボール、あるいは、水泳や陸上競技などに、いきなり参加し、国体決勝まで行ったとか、そんな話を集めた本もあったようにも思う。
宮沢賢治の『風の又三郎』の、又三郎も、そんな凄いやつをモデルにしたのではないかと勝手に思うのだ。
そして、そんなやつらは実際にいる。
2016年に舞台にもなった、村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)という傑作長編小説がある。
私は正直、読んでいないが、この小説のこんな引用を、印象深く覚えている。
小説の中で、山根という、空手で四人を殺したという少年が、大勢の囚人を威嚇する場面だ。
山根が、厚さ5センチ以上の漆喰塗りの壁を正拳で突くと、それがボロボロに崩れ落ち、囚人たちは顔色を変えて立ち尽くす。
ところが、山根に、「何年くらい修行したら、あんなことが出来るのか?」と尋ねると、山根は「あんなの、誰でも出来る。訓練など要らない」と言う。
コツはこうだ。
「俺の全身全霊の力を拳に乗せると、次の瞬間、拳は板の向こう側にある、板を空気のようにすり抜けて拳は次の瞬間、板の向こう側にある、と自分に言い聞かすんだ」
ついでに言うと、「失敗したら死ぬ覚悟で突く」のだそうだ。
ただ、いきなり板でやると危ないので、ぶら下げた新聞紙でやると良いと、山根は言う。
山根がやると、新聞紙はほとんど揺れず、拳の穴がきれいに空いた。
私は、昔、この新聞紙の正拳穴あけをやったことがあるが、要領を知っていたので、割と簡単に出来た。
私は、名刺での割り箸切りをよくやっていたのだが、それと同じだ。
私は、新聞記者の前で、割り箸が入っていた薄い紙袋を使い、割り箸4本を同時切断したことがある。
ちょっと古いが、1984年の『別冊宝島41 脳力トレーニングの技術』の中で、この新聞紙正拳突きと、名刺による割り箸切りについて、極意はこうだと書かれている。
息を吐き切りながら、肛門を引き締めて集中する(気力を充実させる)。
すると、突く、あるいは、切る瞬間、息を吸うことになる。
ところが、普通の人は、その瞬間、息を吐くからうまくいかないのである。
もう1つというか、最高の方法は「無になる」ことだ。
無になれば不可能はない。
普段から、腕振り運動をしっかりやっていると、無になるコツが自然に分かるので、いざとなると超人力を発揮出来る。
ただし、あくまで、普段から、回数多くやる必要がある。
実際、中国では武術に腕振り運動を取り入れている流派もあるという。
そして、無になる最上の方法は、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱える行。念仏も同じ)だ。
別に、名刺による割り箸切りを人に見せる必要も、何かのパフォーマンスで他人の度肝を抜く必要もないし、そんなことを目的にしていると、全く無になれない。
ただ、普段から、淡々と、神仏の名を心で丁寧に唱え、ついでに、腕振り運動もやっておけば、仙人のようなものになれると思う。
雪兎は、最初は高校3年生で、主人公である木之本桜(小4)の憧れの人だった。色白で華奢な美男子で眼鏡をかけていて、いつもぼんやりして、天然で、人と話す時はニコニコしていて、不機嫌になることは・・・まあ、ない。
一見、いい人だけの頼りなさそうな男だ。
だが、実は、彼はスーパーマンで、秀才の上、スポーツ万能。普段は部活は何もしていないし、運動をしている様子すらないが、スポーツ部から、試合の時に、たびたび「助っ人」として駆り出されると、必ず大活躍する。
「そんなこと、実際にはあり得ない、やっぱり漫画だ」と思うだろうが、年配の人に聞くと、「ああ、クラスにそんなやつ、いたな」と普通に言う人が案外に多いのである。
プロ野球選手としても監督としても超一流だったある人も、高校の時は野球部に所属せず、助っ人で試合に出ていたという話もある(詳細は忘れたので名は伏せるが、多分落〇さん)が、彼の世代だ。
昔のことだから、家の手伝いが忙しくて、クラブに入ったり練習をしたり出来ないのに、野球やバレーボール、あるいは、水泳や陸上競技などに、いきなり参加し、国体決勝まで行ったとか、そんな話を集めた本もあったようにも思う。
宮沢賢治の『風の又三郎』の、又三郎も、そんな凄いやつをモデルにしたのではないかと勝手に思うのだ。
そして、そんなやつらは実際にいる。
2016年に舞台にもなった、村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)という傑作長編小説がある。
私は正直、読んでいないが、この小説のこんな引用を、印象深く覚えている。
小説の中で、山根という、空手で四人を殺したという少年が、大勢の囚人を威嚇する場面だ。
山根が、厚さ5センチ以上の漆喰塗りの壁を正拳で突くと、それがボロボロに崩れ落ち、囚人たちは顔色を変えて立ち尽くす。
ところが、山根に、「何年くらい修行したら、あんなことが出来るのか?」と尋ねると、山根は「あんなの、誰でも出来る。訓練など要らない」と言う。
コツはこうだ。
「俺の全身全霊の力を拳に乗せると、次の瞬間、拳は板の向こう側にある、板を空気のようにすり抜けて拳は次の瞬間、板の向こう側にある、と自分に言い聞かすんだ」
ついでに言うと、「失敗したら死ぬ覚悟で突く」のだそうだ。
ただ、いきなり板でやると危ないので、ぶら下げた新聞紙でやると良いと、山根は言う。
山根がやると、新聞紙はほとんど揺れず、拳の穴がきれいに空いた。
私は、昔、この新聞紙の正拳穴あけをやったことがあるが、要領を知っていたので、割と簡単に出来た。
私は、名刺での割り箸切りをよくやっていたのだが、それと同じだ。
私は、新聞記者の前で、割り箸が入っていた薄い紙袋を使い、割り箸4本を同時切断したことがある。
ちょっと古いが、1984年の『別冊宝島41 脳力トレーニングの技術』の中で、この新聞紙正拳突きと、名刺による割り箸切りについて、極意はこうだと書かれている。
息を吐き切りながら、肛門を引き締めて集中する(気力を充実させる)。
すると、突く、あるいは、切る瞬間、息を吸うことになる。
ところが、普通の人は、その瞬間、息を吐くからうまくいかないのである。
もう1つというか、最高の方法は「無になる」ことだ。
無になれば不可能はない。
普段から、腕振り運動をしっかりやっていると、無になるコツが自然に分かるので、いざとなると超人力を発揮出来る。
ただし、あくまで、普段から、回数多くやる必要がある。
実際、中国では武術に腕振り運動を取り入れている流派もあるという。
そして、無になる最上の方法は、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱える行。念仏も同じ)だ。
別に、名刺による割り箸切りを人に見せる必要も、何かのパフォーマンスで他人の度肝を抜く必要もないし、そんなことを目的にしていると、全く無になれない。
ただ、普段から、淡々と、神仏の名を心で丁寧に唱え、ついでに、腕振り運動もやっておけば、仙人のようなものになれると思う。
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