幸せになるために、常に考えておくべき価値あることは「準備する」ことだ。
このブログで何十回引用したか分からないが(それほど重要と思う)、ハリウッド俳優のバート・レイノルズが駆け出しの頃、既に大スターだったクリント・イーストウッドに、
「成功するまでどうしていたか?」
と尋ね、イーストウッドは、
「成功するための準備をしていた」
と答えた。
それで重要なことを悟ったレイノルズは、準備をすることで成功した。

この話は、アメリカの作家・事業家のチン・ニンチュウが書いた『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本に書かれていたが、そのエピソードを読んで、私も何かを感じたが、はっきり言ってよく分らなかった。
まあ、別に難しいことではなく、普通に捉えれば良いことなのだが。
そして、チン・ニンチュウよりずっと古い人である、作家・画家のフローレンス・スコーヴェル・シンが世界的ベストセラーの『ゲームの法則』の後に書いた、『成功への秘密の扉』で、準備について、福音書のイエスのお話を引用している。
「5人の賢い乙女と5人の愚かな乙女」のお話だ。
10人の乙女が、夜、外で、花婿の到着を待っていた。
だが、花婿の到着が遅れ、乙女達が持っていたランプの油が切れかけた。
10人の乙女のうち、5人は、予備の油を持っていたが、後の5人は持っていなかった。
つまり、5人の乙女は、予備の油の準備をしていたが、5人の乙女は、予備の油の準備をしていなかったのだ。
予備の油を準備していなかった5人の乙女達が油を買いに行っている間に花婿が到着し、予備の油を準備していた5人の乙女達だけが、花嫁として迎えられた。
そんな話である。
・・・分かるような分からないような(笑)。
で、フローレンス・スコーヴェル・シンは、もっと簡単な話で示した。
世界一周旅行に行きたがっていた男に、準備として、旅行カバンを買わせたのだ。
つまり、世界一周旅行の願いを叶えるための準備が、カバンを買うことだったのだ。
すると、この男は不思議ななりゆきで大金を掴み、世界一周旅行に出かけたのだった。

準備が出来ていない愚か者の教訓を知りたければ、芥川龍之介の『六の宮の姫君(ろくのみやのひめぎみ)』を読むと良いと思う。
短いお話だ。
ある良家の姫君(六の宮の姫君と呼ばれていた)は、何不自由ない生活をしていたが、父親が急死し、さらに、母もすぐに亡くなった。
そうなった時の準備を何もしていなかったので大変だ。
収入もなく、使用人は、屋敷にあるものを持ち逃げしつつ、全員いなくなった。
姫君に残されたのは、姫君を愛する乳母だけであったが、2人とも、何の準備もしてこなかったので、全くの無能力だ。
引用はここまでにするので、後は、読むことをお勧めする。
面白いのは、芥川は、話の最後に、内記の上人(ないきのしょうにん)を登場させることだ。
内記の上人が実在の人物かどうかは分からないが、法然、親鸞と並ぶ念仏者、空也上人(くうやしょうにん)の高弟ということになっている。
内記の上人が最後、姫君に念仏を教えたが手遅れだった。

一方、江戸時代の観相(顔や身体の相で占う運命鑑定)の大家、水野南北(少食開運法で知られる)に、こんな話がある。
水野南北には、元武士の弟子がいた。
この元武士というのが、無能な男で、武士は務まらず、落ちぶれてヤクザの子分になっていたが、そこでも、良い想いはしなかったのだろう。
そんな中、運良く、水野南北の最初の弟子になったが、水野南北の弟子としても能力不足だった。
だが、この元武士は、絶えず念仏を唱えていた。
そして、この元武士の弟子は、能力がなくても、良い人生になったのだ。

念仏もその1つなのだが、神仏の名を真言として唱えることは、幸福になる最高の準備だ。
そもそも、最初のレイノルズとイーストウッドの話を書いたチン・ニンチュウが、「神の子羊として、神様にしっかり面倒を見てもらえば良いだけ」と悟って幸福になったのだ。
その具体的、かつ、誰でも出来るなやり方が、神仏の名を唱える真言である。

尚、『六の宮の姫君』は、芥川龍之介の著作権が切れているので、安価、あるいは、無料の電子書籍もあるが、一応、岩波のを下に紹介する(解説もあると思うので)。








  
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