柳田國男が東北地方の伝説(怪異譚=妖怪物語が多い)を調査して『遠野物語』を書いたり、グリム兄弟がドイツの昔話を憶えている人から聞いて『グリム童話』を書いたりしたが、伝説や昔話は興味深いものであり、彼らの努力は称賛される。
彼らのように、苦労して伝説などを収集して本にした人がいたから、我々が読むことが出来るのである。
一時期はテレビで見ない日はないと言われ、数百冊という著書を書いた(ゴーストライターは使わなかったという)中岡俊哉が世に出たきっかけは、中国で過ごした若い時に、中国の怪異譚を集め、それを雑誌などで発表したら人気が出たことだった。
やはり、伝説には、人々の心を惹きつけるものがある。

ただ、文明が発達すれば、「価値あり」として情報が集められるものは、物質的なメリットや、学問的価値があると認められるものだけで、そういった基準に合致しなければ、本当は恐ろしく価値のある情報でも、全く知られずに、世の中から消えてしまう。
例えば、西洋魔法の中には、その技術や秘法が凄いがゆえに、うかつに文章にして、おかしな人に見られたら困るので、暗号や魔法結社内部で作られた言葉で書かれたり、あるいは、文章にせず、口伝のみで伝えたようなものが多い。
魔法結社の会員であったノーベル賞文学者で「20世紀最大の詩人」とも言われたW.B.イェイツは、魔法の本質や秘術を『ヴィジョン』という書にしたが、これも、比喩を使い抽象的に書かれているので、読んでもなかなか意味が分からない。
そもそも、旧約聖書や古事記も、実は、そのようなもの(抽象的、象徴的に書かれた暗号文書)であると考えられる。
イェイツもまた、アイルランドに伝わる妖精伝説・怪異譚を調査・収集し、『神秘の薔薇』『ケルトの薄明』『ケルト妖精物語』などとして出版したが、非常に神秘的な内容であるが、実に貴重なものである。

そして、真言(念仏や呪文を含む)の奇跡的効果の記録も、収集者がおらず、多くない。
恐るべき神通力を備えた修験者である役小角(えんのおづぬ)に関しては、本になっており、完全に正確とは言えないかもしれないが、多くのことを知ることが出来る。しかし、彼の行法は複雑で謎も多い。
修験者の中には、般若心経の呪文をひたすら唱えることで、相当な力を得た者もいたのだが、彼らは山に隠れて過ごした(だから別名、山伏と言う)ので、情報が少ない。
その中で、割と情報があるのは、江戸末期から、昭和初期にかけて、念仏によって霊妙な存在になった人達のもので、彼らは「妙好人(みょうこうじん)」と呼称される。
「妙好人」は「妙人」と「好人」の合成語と思われるが、「妙人」の「妙」は「自然の妙」とか言うように、この上なく優れているということで、実は、神秘的な意味もかなり含む。
また、「妙」という文字は、右から見れば「少女」であり、清廉な存在であることも示す。
そして、妙好人となると、世界の宝とも言えるほどの至高の存在で、法然の『選択本願念仏集』にも、念仏者が、妙人、好人であると書かれている。
この妙好人という、江戸末期から昭和初期にかけ、多くは、学問のない庶民でありながら、尋常ではない存在と崇められていた人達が、かなりいたのである。
例えば、ただのお婆さんが、ゲリラ(非正規の民兵。暴民部隊)に村を占拠されても平然と振る舞い、歴戦の大物ゲリラのボスすら畏怖させ、たとえ処刑されることになっても何の動揺もなく銃口の前に立った(銃がなぜか不発になることもあった)。
妙好人は、普通の記録としては、単なる人格者と受け取れる程度のものが多いが、実は、病気を治したり、雨を降らせたり、ゲリラ部隊を追い返したりといった、キリスト並の伝承もある(書にはなっていないかもしれない)。無論、どこまで本当かは分からないが。
なぜ、仏教信仰者の中で、念仏者が妙好人と呼ばれる奇跡的な人間になったのだろう。
それは分かるように思うのである。
元々が念仏の場合、宗教的、あるいは、道徳的な修行をしたり戒律を守ることは、極めて二次的とされ(早い話が無用とされ)、ただ念仏を唱えることのみを重視したことから、真言である念仏の効果が発揮され易かったのだと思う。
つまり、本当は、真言だけで良いのに、他の行者は、いろいろな修行や戒律に心を向け、真言が十分にならないのである。
修験者(山伏)もまた、いろいろな厳しい修行をする者より、たゆまず、般若心経の呪文を唱え続けた者の方が、大きな力(神通力など)を得たに違いないと思うのである。
このあたりの理屈(理屈というのもおかしいかもしれないが)は、法然の『選択本願念仏集』に書かれていて、その多くは、中国の高僧、善導の研究を参考にしている。
つまり、ただ真言さえ唱えていれば、一切の力を得るのである。
(明治・大正の偉人、岡田虎二郎は「念仏さえ唱えれば、一切の問題が解決し救われる」と言った)
妙好人は、念仏について、「お金のことを知らない者でも、出せば、ちゃんと物が買える。本当に価値があるからだ。念仏も同じで、誰が唱えても効果がある」と言う。
念仏の威力については、ある程度の実証記録もある。
やはり、我々は、真言、ことに、念仏に頼っても良く、この悪い世の中では、他に頼るものはないのである。
ついでに、腕振り運動もやれば、健康で若く美しくなるし、さらに良いことにも恵まれると思う。








  
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