かなり以前から、「今後はますます大きな異変が起こる」と言われていたが、実際、その通りになっている。
世界的に、地震や、豪雨などの異常気象などが相次いでいるが、そういった天災に加え、紛争、ジェノサイド、経済危機、政治不正、事業不正などが、表には見えていないものも含め、恐ろしい勢いで拡大している。
そして、極めつけとも思われるのが、昨年からパンデミックが始まった新型コロナウイルスであるが、これは、自然災害ではなく人為的災害であるといった説もあるし、そして、ウイルス感染の被害だけでなく、ワクチンや治療薬に関することでも、様々な、予期せぬ恐ろしいことが起こる予感もある。
別に不安を煽るつもりはないが、これまで平安だった人も、今後も、それが続くとは限らず、むしろ、今後は自分も安全でないことを前提に危機感を持たねばならない。
では、どうすれば、危機を逃れられるのだろう?
それに対する優れた答がある。
このブログで度々ご紹介してきた、五島勉氏の『ノストラダムス超法則 死活の書』には、危機に立ち向かう秘法が書かれているが、それは、「最悪の状況を想定し、実際にそうなると覚悟を決める」ことである。
簡単な例で言うが、たとえば、あなたが男で、好きな女性がいても、彼女とうまくいくなんて甘いことを考えてはならない。
彼女にこっぴどく振られるか、少しうまくいっても裏切られて酷い目に遭い、さらには、あなたが大嫌いな、いけ好かない男に彼女をかっさらわれる屈辱を味わうと決めつけてしまうのだ。
そこで初めて、謙虚さ、冷静さを持て、無我になって、全てのものごとをなりゆきにまかせることが出来るようになる。
そうなった時に、不可能が可能になるのである。
だが、今後、人類、そして、日本を襲う災いの直撃を免れるには、運を蓄積しなくてはならない。
運の蓄積とは、徳の蓄積と言い換えても良い。
そのためには、普通は、善行を行う。
他者に優しくし、世のため人のために働き、少ないもので満足する。
また、弱きを助け、他人の不安を除き、さらには、他人を喜ばせる。
特に、徳が高いのは、イエスが言ったように「汝の敵を愛する」ことで、敵と言ったら分かり難いが、要するに、嫌いな人間にも親切にし、機嫌を取ることである。
他にも、聖書や仏典、あるいは、聖人の書を読むことも、徳になる。
そして、食の慎みも大きな徳で、粗食・少食に徹すると大きな徳を積むことになるが、『バガヴァッド・ギーター』にもあるように、食べるのが少な過ぎるのも良くない。
普通の人間としては、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」ことで十分であるが、これは、正月やクリスマスなどの特別な日を除き、例外があってはならない。
だが、どれも満足に出来ないとしても、心配はいらない。
その場合は、真言を数多く唱えることだ。
真言を唱えることこそが最高の徳であるが、同時に、これが最後の手段であり、これをやれなければ、ジ・エンドだ。
「南無阿弥陀仏」だけでも良いから、心の中で、丁寧に、静かに、穏やかに、出来るだけ多く唱えることだ。
「南無阿弥陀仏」でなくても、自分の好きな真言を唱えると良いのである。
自分の家の宗派が何であるかは関係ない。
心で唱えるのであるから、誰かに聞かれる恐れはないし、また、聞かれてはならない。
『密教の聖なる呪文』という本に、大概の真言の、中国語音写版や、サンスクリット語版が丁寧に書かれているので、参考になると思う。
こだわりがなければ、度々ご紹介している、阿弥陀如来真言「南無阿弥陀仏」または「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」や、観世音菩薩真言「南無観世音菩薩」または「オン、アロリキャ、ソワカ」や、般若心経の呪文「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」のどれかを唱えると良い。
楽しいと思う限り、いくつでも唱えると良い。
だが、何よりも、数多く唱えることが大切だ。
大豪雨の中でも、「なぜか私の家は全く静かで穏やかだなあ」と思っているうちに、何ごともなく過ぎてしまうような人がいた。
また、地震で隣の家が倒壊したのに、皿一枚落ちなかったという家も実際にあった。
そんな家では、住んでいる人によほどの徳があったか、優れた聖典など、よほど徳があるものがあったか、それとも、今は少ないが、真言を多く唱える人がいたのだと思う。
あなたも、是非、そうなるのだ。
世界的に、地震や、豪雨などの異常気象などが相次いでいるが、そういった天災に加え、紛争、ジェノサイド、経済危機、政治不正、事業不正などが、表には見えていないものも含め、恐ろしい勢いで拡大している。
そして、極めつけとも思われるのが、昨年からパンデミックが始まった新型コロナウイルスであるが、これは、自然災害ではなく人為的災害であるといった説もあるし、そして、ウイルス感染の被害だけでなく、ワクチンや治療薬に関することでも、様々な、予期せぬ恐ろしいことが起こる予感もある。
別に不安を煽るつもりはないが、これまで平安だった人も、今後も、それが続くとは限らず、むしろ、今後は自分も安全でないことを前提に危機感を持たねばならない。
では、どうすれば、危機を逃れられるのだろう?
それに対する優れた答がある。
このブログで度々ご紹介してきた、五島勉氏の『ノストラダムス超法則 死活の書』には、危機に立ち向かう秘法が書かれているが、それは、「最悪の状況を想定し、実際にそうなると覚悟を決める」ことである。
簡単な例で言うが、たとえば、あなたが男で、好きな女性がいても、彼女とうまくいくなんて甘いことを考えてはならない。
彼女にこっぴどく振られるか、少しうまくいっても裏切られて酷い目に遭い、さらには、あなたが大嫌いな、いけ好かない男に彼女をかっさらわれる屈辱を味わうと決めつけてしまうのだ。
そこで初めて、謙虚さ、冷静さを持て、無我になって、全てのものごとをなりゆきにまかせることが出来るようになる。
そうなった時に、不可能が可能になるのである。
だが、今後、人類、そして、日本を襲う災いの直撃を免れるには、運を蓄積しなくてはならない。
運の蓄積とは、徳の蓄積と言い換えても良い。
そのためには、普通は、善行を行う。
他者に優しくし、世のため人のために働き、少ないもので満足する。
また、弱きを助け、他人の不安を除き、さらには、他人を喜ばせる。
特に、徳が高いのは、イエスが言ったように「汝の敵を愛する」ことで、敵と言ったら分かり難いが、要するに、嫌いな人間にも親切にし、機嫌を取ることである。
他にも、聖書や仏典、あるいは、聖人の書を読むことも、徳になる。
そして、食の慎みも大きな徳で、粗食・少食に徹すると大きな徳を積むことになるが、『バガヴァッド・ギーター』にもあるように、食べるのが少な過ぎるのも良くない。
普通の人間としては、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」ことで十分であるが、これは、正月やクリスマスなどの特別な日を除き、例外があってはならない。
だが、どれも満足に出来ないとしても、心配はいらない。
その場合は、真言を数多く唱えることだ。
真言を唱えることこそが最高の徳であるが、同時に、これが最後の手段であり、これをやれなければ、ジ・エンドだ。
「南無阿弥陀仏」だけでも良いから、心の中で、丁寧に、静かに、穏やかに、出来るだけ多く唱えることだ。
「南無阿弥陀仏」でなくても、自分の好きな真言を唱えると良いのである。
自分の家の宗派が何であるかは関係ない。
心で唱えるのであるから、誰かに聞かれる恐れはないし、また、聞かれてはならない。
『密教の聖なる呪文』という本に、大概の真言の、中国語音写版や、サンスクリット語版が丁寧に書かれているので、参考になると思う。
こだわりがなければ、度々ご紹介している、阿弥陀如来真言「南無阿弥陀仏」または「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」や、観世音菩薩真言「南無観世音菩薩」または「オン、アロリキャ、ソワカ」や、般若心経の呪文「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」のどれかを唱えると良い。
楽しいと思う限り、いくつでも唱えると良い。
だが、何よりも、数多く唱えることが大切だ。
大豪雨の中でも、「なぜか私の家は全く静かで穏やかだなあ」と思っているうちに、何ごともなく過ぎてしまうような人がいた。
また、地震で隣の家が倒壊したのに、皿一枚落ちなかったという家も実際にあった。
そんな家では、住んでいる人によほどの徳があったか、優れた聖典など、よほど徳があるものがあったか、それとも、今は少ないが、真言を多く唱える人がいたのだと思う。
あなたも、是非、そうなるのだ。
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