「すねかじり」とは、親などから学費や生活費をもらって生活すること、あるいは、そんな人のことを言う。
年配者が、高校生や大学生、あるいは、ニートを蔑むための、逆らえない切り札と心得ていることも多いだろう。
つまり、経済的に自立していなければ子供であり、そんな人間にはモノを言う権利などないと言えるのである。
だが、すねかじりを下等なものと見るのは、支配者に洗脳されているからである。
世の中で、大きな改革や事業を行った者の多くはすねかじりだ。彼らの多くは、親が豊かで、生活に煩わされず、暇とエネルギーがあったから、そんなことが出来たのだ。
だから、支配者は、「親のすねかじりは恥ずかしい」といった観念を民衆に叩き込んで洗脳し、自分達に盾突かないよう、労働に縛られた奴隷の状態にするのである。
そもそも、政治家を見れば分かるように、支配層の多くはすねかじりである。
その中で、かじるすねのない我が国の総理(普通の家庭の出身)は、実質的な権力がない。
いや、そんな悪い意味でなくても、アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンだって、経済的な心配がない少年達が、いかに自信があって、賢く、高貴ですらあるかを述べ、称賛している。
釈迦やイエスだって、30歳くらいまですねかじりだった。
その歳まで、自由に思索し、勉強し、身体を鍛えたからこそ、精神を磨くことが出来たのである。
私は、江戸末期の神道家、黒住宗忠は、釈迦やイエスに匹敵すると思っているが、宗忠は、生涯、実家暮らしで、30歳過ぎまですねかじりだった。それで、宗忠が30代の時、両親が相次いで亡くなると、ショックで寝込んでしまい、あわや、そのまま衰弱して亡くなりかけたものだ。
その宗忠がなぜ蘇生出来たかというと、新しい、最高に頼りになる太ーいすねを見つけたのだ。
それが、天照大神で、事実、宗忠は、天照大神を「親様」と呼んでいた。
これに関連して、江戸末期から昭和初期の、ただの農民でありながら、妙好人と呼ばれる、聖者とも考えられている、因幡の源左(いなばのげんざ、1842~1930年)を思い出す。
源左もまた、19歳の時に父親が亡くなるまで、バリバリのすねかじりだったが、その父親が亡くなろうとしていた時、その心細さは大変なものだった。
だが、彼の父は偉大だった。
自分が死ぬ時、父は、「これからは親様(阿弥陀様)を頼れ」と言ったのだ。
それからいろいろあったが、源左は、念仏を唱え、阿弥陀様のすねをかじらせてもらうことで、平安な生涯を送ったのである。
黒住宗忠も、「まることの教え」と言って、天照大神にまること(まるごと)まかせきってしまえば安心だと、自分がそう信じることはもちろん、人々にも教え、黒住教は確固とした神道の一派になった。
我々も、好きな神仏を頼み、安心することだ。
世界的な女性作家、事業家であるチン・ニンチュウも、ある時、「私は神様にしっかり面倒を見てもらいさえすれば良い」と気付き、感激の涙が止まらなかったと、著書『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』に書いている。
では、どうすれば、神仏のすねをかじれる・・・つまり、面倒を見てもらえるのか?
それはいろいろあるかもしれないが、私に出来るのは真言を唱えることだけである。
法然や親鸞が教えたのもこれで、彼らの場合、真言が「南無阿弥陀仏」の念仏だっただけのことだ。
因幡の源左も当然、念仏を唱えていたのである。
黒住宗忠の場合は、自身は神官なので祝詞を唱えたが、人々にはどう教えていたか、どうもよく分らない。
だが、神道の世界には、「十言神呪(とことのかじり)」という、「アマテラスオオミカミ」という十語を唱える真言があるようだ。
神の名を唱えることを、インドでは「ナーマスマラナ」と言い、インドの有名な聖者サイババも、「現代人がこれ以外に救われる方法はない」と勧め、そして、神の名に上下優劣はなく、いずれも力があると教えていた。
私の場合は、昔から、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイカラウン」や、般若心経の呪文を愛用している。
是非、畏れ多いとは思うが、神仏の、無限に太く甘いすねをしっかりかじろう。
年配者が、高校生や大学生、あるいは、ニートを蔑むための、逆らえない切り札と心得ていることも多いだろう。
つまり、経済的に自立していなければ子供であり、そんな人間にはモノを言う権利などないと言えるのである。
だが、すねかじりを下等なものと見るのは、支配者に洗脳されているからである。
世の中で、大きな改革や事業を行った者の多くはすねかじりだ。彼らの多くは、親が豊かで、生活に煩わされず、暇とエネルギーがあったから、そんなことが出来たのだ。
だから、支配者は、「親のすねかじりは恥ずかしい」といった観念を民衆に叩き込んで洗脳し、自分達に盾突かないよう、労働に縛られた奴隷の状態にするのである。
そもそも、政治家を見れば分かるように、支配層の多くはすねかじりである。
その中で、かじるすねのない我が国の総理(普通の家庭の出身)は、実質的な権力がない。
いや、そんな悪い意味でなくても、アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンだって、経済的な心配がない少年達が、いかに自信があって、賢く、高貴ですらあるかを述べ、称賛している。
釈迦やイエスだって、30歳くらいまですねかじりだった。
その歳まで、自由に思索し、勉強し、身体を鍛えたからこそ、精神を磨くことが出来たのである。
私は、江戸末期の神道家、黒住宗忠は、釈迦やイエスに匹敵すると思っているが、宗忠は、生涯、実家暮らしで、30歳過ぎまですねかじりだった。それで、宗忠が30代の時、両親が相次いで亡くなると、ショックで寝込んでしまい、あわや、そのまま衰弱して亡くなりかけたものだ。
その宗忠がなぜ蘇生出来たかというと、新しい、最高に頼りになる太ーいすねを見つけたのだ。
それが、天照大神で、事実、宗忠は、天照大神を「親様」と呼んでいた。
これに関連して、江戸末期から昭和初期の、ただの農民でありながら、妙好人と呼ばれる、聖者とも考えられている、因幡の源左(いなばのげんざ、1842~1930年)を思い出す。
源左もまた、19歳の時に父親が亡くなるまで、バリバリのすねかじりだったが、その父親が亡くなろうとしていた時、その心細さは大変なものだった。
だが、彼の父は偉大だった。
自分が死ぬ時、父は、「これからは親様(阿弥陀様)を頼れ」と言ったのだ。
それからいろいろあったが、源左は、念仏を唱え、阿弥陀様のすねをかじらせてもらうことで、平安な生涯を送ったのである。
黒住宗忠も、「まることの教え」と言って、天照大神にまること(まるごと)まかせきってしまえば安心だと、自分がそう信じることはもちろん、人々にも教え、黒住教は確固とした神道の一派になった。
我々も、好きな神仏を頼み、安心することだ。
世界的な女性作家、事業家であるチン・ニンチュウも、ある時、「私は神様にしっかり面倒を見てもらいさえすれば良い」と気付き、感激の涙が止まらなかったと、著書『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』に書いている。
では、どうすれば、神仏のすねをかじれる・・・つまり、面倒を見てもらえるのか?
それはいろいろあるかもしれないが、私に出来るのは真言を唱えることだけである。
法然や親鸞が教えたのもこれで、彼らの場合、真言が「南無阿弥陀仏」の念仏だっただけのことだ。
因幡の源左も当然、念仏を唱えていたのである。
黒住宗忠の場合は、自身は神官なので祝詞を唱えたが、人々にはどう教えていたか、どうもよく分らない。
だが、神道の世界には、「十言神呪(とことのかじり)」という、「アマテラスオオミカミ」という十語を唱える真言があるようだ。
神の名を唱えることを、インドでは「ナーマスマラナ」と言い、インドの有名な聖者サイババも、「現代人がこれ以外に救われる方法はない」と勧め、そして、神の名に上下優劣はなく、いずれも力があると教えていた。
私の場合は、昔から、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイカラウン」や、般若心経の呪文を愛用している。
是非、畏れ多いとは思うが、神仏の、無限に太く甘いすねをしっかりかじろう。
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私の年齢は30代後半なのですが、このコロナ禍にも関わらず、東証一部上場企業へ転職することが出来ました。
また普段、特に理由がなくても幸福感を感じることも多くなりました。なんとなく、人生の良い流れに乗れている気がしています。
いつも価値ある情報を配信下さり、ありがとうございます。