私が敬愛する橋本健博士(1924~2007。私は一緒に超能力判定ソフトを作ったことがある)は、世界は映画のようなものなので、世界が気に入らないなら、この世界という映画を映している映写室に入って行って、好みのフィルムに取り換えれば良いと言っておられた。
また、橋本博士よりやや古い人間であるH.G.ウェルズ(1866~1946)の自伝的小説『ポリー氏の人生』のポリーの言葉「人生が気に入らないなら変えてしまえばよい」をうまく実行することで、コリン・ウィルソン世界的作家になった。
今流に言えば、世界は一種のVR(仮想現実)なので、このVR世界を動かしているルールを変えてしまえば良いのである。
分かり易く言うと、この世界はVRゲームのようなものであり、このゲームのルールを、あなたの都合の良いように変えてしまえば、楽々勝てるのである。
この世というVR世界は信念が動かす世界なので、「こうなる」と思えばその通りになる。
しかし、その、「こうなる」と信じ込むのが、かなり難しい。
なぜ難しいのかというと、信念というものは、表の心である顕在意識(自我)より深い心である潜在意識の観念であり、潜在意識の観念を顕在意識で動かすことは出来ないからだ。
潜在意識の観念を変えるには、潜在意識よりもっと深い心である超意識の働きかけが必要なのだ。
そこで、この超意識に接触し、働いてもらうために、それはもういろんな方法が考えられたが、特殊な例外を除き、全部失敗した。
どうやろうとも、自我が超意識を動かすなんて土台無理である。
ところが、ただ1つ、長い年月をかけて、超意識へのルートが作られていたのだ。
それが、真言である。
真言とは、優れた呪文、祓詞、神仏の名である。
長い年月をかけて、真摯に唱えられてきた真言は、人類共通の意識である超意識の中にエネルギー体として存在し、心でそれを唱えることで、この超意識のエネルギー体と共鳴し、潜在意識の観念を変えてくれる。
潜在意識の観念が、最初に述べた、映画であるこの世界のフィルム、あるいは、VR世界であるこの世のルールである。
「南無阿弥陀仏」は優れた真言なのであるが、どうも葬式に使われているうちにイメージが悪くなってしまった。
しかし、やはり力があることは間違いない。
「南無阿弥陀仏」を唱えれば、ちょっとした病気くらい簡単に治るだろうし、お金の入りも良くなるはずだ。
「神様の奇跡が起こる」「予想しないことが起こり道が開かれる」という言葉も、数多く唱えれば、超意識を動かす。
なぜなら、このような想念に似たものが超意識の中にあるからで、粘り強く唱えて、超意識の中のその思念(エネルギー体)と共鳴すれば奇跡が起こる。
つまり、それらの言葉も真言である。
ただ、これらの言葉を唱えてうまくいくには、信心深いとか、極めて素直といった性質がないと難しいかもしれない。
大雑把に言えば、真言で願いが叶う原理は、以上のようである。
これは、ユング心理学とシミュレーション仮説と量子力学と仏教が別方向から説明しているが、学問的に究めようとすれば一生を棒に振る可能性がある。
よって、すぐに真言を唱えた方が良い。結果は間違いなく出てくるので、それまで粘り強く唱えると良いだろう。
尚、真言は、心の中で、丁寧に静かに穏やかに唱えるべきである。
また、橋本博士よりやや古い人間であるH.G.ウェルズ(1866~1946)の自伝的小説『ポリー氏の人生』のポリーの言葉「人生が気に入らないなら変えてしまえばよい」をうまく実行することで、コリン・ウィルソン世界的作家になった。
今流に言えば、世界は一種のVR(仮想現実)なので、このVR世界を動かしているルールを変えてしまえば良いのである。
分かり易く言うと、この世界はVRゲームのようなものであり、このゲームのルールを、あなたの都合の良いように変えてしまえば、楽々勝てるのである。
この世というVR世界は信念が動かす世界なので、「こうなる」と思えばその通りになる。
しかし、その、「こうなる」と信じ込むのが、かなり難しい。
なぜ難しいのかというと、信念というものは、表の心である顕在意識(自我)より深い心である潜在意識の観念であり、潜在意識の観念を顕在意識で動かすことは出来ないからだ。
潜在意識の観念を変えるには、潜在意識よりもっと深い心である超意識の働きかけが必要なのだ。
そこで、この超意識に接触し、働いてもらうために、それはもういろんな方法が考えられたが、特殊な例外を除き、全部失敗した。
どうやろうとも、自我が超意識を動かすなんて土台無理である。
ところが、ただ1つ、長い年月をかけて、超意識へのルートが作られていたのだ。
それが、真言である。
真言とは、優れた呪文、祓詞、神仏の名である。
長い年月をかけて、真摯に唱えられてきた真言は、人類共通の意識である超意識の中にエネルギー体として存在し、心でそれを唱えることで、この超意識のエネルギー体と共鳴し、潜在意識の観念を変えてくれる。
潜在意識の観念が、最初に述べた、映画であるこの世界のフィルム、あるいは、VR世界であるこの世のルールである。
「南無阿弥陀仏」は優れた真言なのであるが、どうも葬式に使われているうちにイメージが悪くなってしまった。
しかし、やはり力があることは間違いない。
「南無阿弥陀仏」を唱えれば、ちょっとした病気くらい簡単に治るだろうし、お金の入りも良くなるはずだ。
「神様の奇跡が起こる」「予想しないことが起こり道が開かれる」という言葉も、数多く唱えれば、超意識を動かす。
なぜなら、このような想念に似たものが超意識の中にあるからで、粘り強く唱えて、超意識の中のその思念(エネルギー体)と共鳴すれば奇跡が起こる。
つまり、それらの言葉も真言である。
ただ、これらの言葉を唱えてうまくいくには、信心深いとか、極めて素直といった性質がないと難しいかもしれない。
大雑把に言えば、真言で願いが叶う原理は、以上のようである。
これは、ユング心理学とシミュレーション仮説と量子力学と仏教が別方向から説明しているが、学問的に究めようとすれば一生を棒に振る可能性がある。
よって、すぐに真言を唱えた方が良い。結果は間違いなく出てくるので、それまで粘り強く唱えると良いだろう。
尚、真言は、心の中で、丁寧に静かに穏やかに唱えるべきである。
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昔は漢字や意味を理解しなきゃ意味ないだろうとか、教えを理解できないとか、本当にこれでいいのかとか難しく考えていたのですが、まずは無心に唱えることが大切なのかも。
意味もご利益も、そのあとじわじわくるというか、、感覚ですが。
こちらでもよく言われるように「静かに丁寧に」が早道のようです。