どんな宗教にも、聖典があり、戒律があり、儀式としての祈祷がある。
しかし、釈迦は、「念仏以外は駄目になる」と予言したと言われる。
これは、決して、浄土宗や浄土真宗の「南無阿弥陀仏」の念仏のことを言っているのではなく、他宗派では、真言とか、お題目と言うだけで、同じなのであると思う。
天台宗では有名な「南無妙法蓮華経」で、真言宗では「おん、あびらうんけん」が本来的なものらしく、座禅の禅宗だって、真言を使う。
そして、真言重視にしなければ、釈迦の予言通り、どんどん駄目になるのではないかと思う。
ヒンズー教には真言自体はあっても、それが中心ではないし、キリスト教やイスラム教では真言らしきものがないように思う。
これらの宗教は、規模が非常に大きなことが特徴で、内容自体は素晴らしいとしても、権力者に利用されることが多く、必ずしも大衆を幸福にしなかったかもしれない。
ひょっとしたら、権力者の大衆支配のため、真言が消されたようにも思うのである。
各自が真言を心で唱えることを奨励したら、支配などは出来ないのである。
面白いのは、日本の神道である。
聖典はないし、祈祷も正統なものはないと思う。だから、神道は宗教ではないとも言われる。
だが、神道では真言とは言わないが、祝詞(のりと)や祓詞(はらえことば)がある。
しかし、一般向けの短くて唱え易いものがなく、やはり、専門家のためのものだった。
あえて言えば、「祓え給え、清め給え」や「トホカミエミタメ」といったものがある。
そして、今や、祝詞や祓詞である真言重視に変わってきていて、そうでなければ、神道だけではなく、日本が滅ぶように思う。
つまり、釈迦の予言通り、一般庶民を幸福にし、人類を救うものは真言だけである。
真言を唱える者が幸福になる。
これは、差別的な意味ではない。
真言に秘法などというものはなく、過去も今も、誰にでも公開されているからだ。
例えば、「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」である。
真言宗でも、一番の真言は「オン、アビラウンケン」だと、ちゃんと教えないといけないと言う偉い僧侶が出ている。
よって、本当は、真言は誰でも、すぐに使える。
そして、真言に優劣は実際は全くない。
自分の家が、どの宗派に属していようが、好きなものを唱えれば良いのだが、それを認める訳にはいかないのが教団の泣き所である。
だが、もう、各自、好きな真言(念仏、祝詞、呪文等)を唱えれば良い。
それが実際に効く。
真言宗の偉い人も、「南無阿弥陀仏だって、病気くらい治る」と言い始めているのである。
なぜ、真言が効くのかという説明は難しい。
科学的には、今のところ仮説しかない。
実際は、真言が効く根拠は経験しかないが、その経験の方は豊富に集められていて、統計や認知科学から考えても信憑性は高いと思う。
私は、シミュレーション仮説から考えると面白いと思う。まあ、これも、今のところ仮説であるが、納得し易い面がある。
シミュレーション仮説とは、この世界が、コンピューターで作られた仮想世界であるというもので、よく知られている話では、イーロン・マスクは、世界が仮想世界でない可能性はほとんどないと言うし、他にも、多くの現代の優秀な人達がそう主張している。
そして、一般的な仮想世界というもののイメージとは相当違うだずであるが、やはり、世界は仮想世界なのである。それはやはり確かと思う。
宗教の戒律や祈祷は、この仮想世界を制御する手段であったが、それは使うのが難しい。
そこで、一般の人が使えるものとしてあるのは真言だけで、今はまだ、使う人が非常に少ないが、絶対的に効果がある。
だから、空海は「真言は不思議だ」と言い、真言を普及させようとしたが、彼の教えは難しくされてしまった。
しかし、真言宗の大僧正であった織田隆弘氏は、空海の教えだって親鸞と同じ易行(いぎょう。易しい行)であると述べておられる。
親鸞の教えは、根本的には法然と同じで「念仏さえ唱えれば良い。他のことは一切不要」だ。
しかし、今は念仏は葬式用になってしまっていて、本来の意味が失われているのが残念だ。
そんなわけで、適当なものがなければ、「南無観世音菩薩」か「オン、アロリキャ、ソワカ」を数多く唱えると、良いことが起こるはずである。
口で言う必要はない。
心で唱えると良い。
そりゃ、僧侶は手本を示さないといけないので、口で唱えるし、また、仏教以外でも、いろいろなものを口で唱えさせたり、歌わせたりするのは、あくまで、修行のため、あるいは、管理のためなのである。
だから、個人個人に関しては、心で唱えれば良いし、むしろ、心で唱えなければならない理由を、私は沢山思いつく。
例えば、騒音にならないためとか、声を出せない人のための配慮とかで、これは重要なので、また改めて書きたい。
私は、宗教とは何の関係もない一般人で凡人だが、真言のおかげで良い思いばかりしてきたのである。それは、このブログでもずっと書いてきた。
そんなにしんどいものではないので、皆さんも何か1つ、真言を是非。
しかし、釈迦は、「念仏以外は駄目になる」と予言したと言われる。
これは、決して、浄土宗や浄土真宗の「南無阿弥陀仏」の念仏のことを言っているのではなく、他宗派では、真言とか、お題目と言うだけで、同じなのであると思う。
天台宗では有名な「南無妙法蓮華経」で、真言宗では「おん、あびらうんけん」が本来的なものらしく、座禅の禅宗だって、真言を使う。
そして、真言重視にしなければ、釈迦の予言通り、どんどん駄目になるのではないかと思う。
ヒンズー教には真言自体はあっても、それが中心ではないし、キリスト教やイスラム教では真言らしきものがないように思う。
これらの宗教は、規模が非常に大きなことが特徴で、内容自体は素晴らしいとしても、権力者に利用されることが多く、必ずしも大衆を幸福にしなかったかもしれない。
ひょっとしたら、権力者の大衆支配のため、真言が消されたようにも思うのである。
各自が真言を心で唱えることを奨励したら、支配などは出来ないのである。
面白いのは、日本の神道である。
聖典はないし、祈祷も正統なものはないと思う。だから、神道は宗教ではないとも言われる。
だが、神道では真言とは言わないが、祝詞(のりと)や祓詞(はらえことば)がある。
しかし、一般向けの短くて唱え易いものがなく、やはり、専門家のためのものだった。
あえて言えば、「祓え給え、清め給え」や「トホカミエミタメ」といったものがある。
そして、今や、祝詞や祓詞である真言重視に変わってきていて、そうでなければ、神道だけではなく、日本が滅ぶように思う。
つまり、釈迦の予言通り、一般庶民を幸福にし、人類を救うものは真言だけである。
真言を唱える者が幸福になる。
これは、差別的な意味ではない。
真言に秘法などというものはなく、過去も今も、誰にでも公開されているからだ。
例えば、「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」である。
真言宗でも、一番の真言は「オン、アビラウンケン」だと、ちゃんと教えないといけないと言う偉い僧侶が出ている。
よって、本当は、真言は誰でも、すぐに使える。
そして、真言に優劣は実際は全くない。
自分の家が、どの宗派に属していようが、好きなものを唱えれば良いのだが、それを認める訳にはいかないのが教団の泣き所である。
だが、もう、各自、好きな真言(念仏、祝詞、呪文等)を唱えれば良い。
それが実際に効く。
真言宗の偉い人も、「南無阿弥陀仏だって、病気くらい治る」と言い始めているのである。
なぜ、真言が効くのかという説明は難しい。
科学的には、今のところ仮説しかない。
実際は、真言が効く根拠は経験しかないが、その経験の方は豊富に集められていて、統計や認知科学から考えても信憑性は高いと思う。
私は、シミュレーション仮説から考えると面白いと思う。まあ、これも、今のところ仮説であるが、納得し易い面がある。
シミュレーション仮説とは、この世界が、コンピューターで作られた仮想世界であるというもので、よく知られている話では、イーロン・マスクは、世界が仮想世界でない可能性はほとんどないと言うし、他にも、多くの現代の優秀な人達がそう主張している。
そして、一般的な仮想世界というもののイメージとは相当違うだずであるが、やはり、世界は仮想世界なのである。それはやはり確かと思う。
宗教の戒律や祈祷は、この仮想世界を制御する手段であったが、それは使うのが難しい。
そこで、一般の人が使えるものとしてあるのは真言だけで、今はまだ、使う人が非常に少ないが、絶対的に効果がある。
だから、空海は「真言は不思議だ」と言い、真言を普及させようとしたが、彼の教えは難しくされてしまった。
しかし、真言宗の大僧正であった織田隆弘氏は、空海の教えだって親鸞と同じ易行(いぎょう。易しい行)であると述べておられる。
親鸞の教えは、根本的には法然と同じで「念仏さえ唱えれば良い。他のことは一切不要」だ。
しかし、今は念仏は葬式用になってしまっていて、本来の意味が失われているのが残念だ。
そんなわけで、適当なものがなければ、「南無観世音菩薩」か「オン、アロリキャ、ソワカ」を数多く唱えると、良いことが起こるはずである。
口で言う必要はない。
心で唱えると良い。
そりゃ、僧侶は手本を示さないといけないので、口で唱えるし、また、仏教以外でも、いろいろなものを口で唱えさせたり、歌わせたりするのは、あくまで、修行のため、あるいは、管理のためなのである。
だから、個人個人に関しては、心で唱えれば良いし、むしろ、心で唱えなければならない理由を、私は沢山思いつく。
例えば、騒音にならないためとか、声を出せない人のための配慮とかで、これは重要なので、また改めて書きたい。
私は、宗教とは何の関係もない一般人で凡人だが、真言のおかげで良い思いばかりしてきたのである。それは、このブログでもずっと書いてきた。
そんなにしんどいものではないので、皆さんも何か1つ、真言を是非。
| 人気ランキング参加中です |
|


「念仏」唱え続けてます。
確かに葬式用の時に唱えるものとしか思われてないの残念ですね。
歎異抄なども、本文以外の解説なと